飛騨 高山城
Takayama castle

高山城跡【岐阜県高山市馬場町城山・神明町・春日町・掘端町】
高山陣屋【岐阜県高山市八軒町1丁目501】

【立地】丘城
【別称】天神山城・臥牛山城・巴山城・多賀山城

【県指定史跡】

【歴史】文安年間(1444〜1449年)、城山(標高687m)に飛騨守護京極氏の家
臣で守護代の多賀出雲守徳言が築いたとされる。近江の多賀天神を祀ったことから、往時は
「多賀天神山」「多賀山城」と呼ばれた。永正年間(1504〜1521年)、多賀出雲守
の一族で桜洞城主高山外記が入り、「天神山」「天神山城」と称した。1558年、同じ守
護代の三木自綱に滅ぼされ、1579年叔父の三木久綱が入り、自身は松倉城を築いて桜洞
城から移住した。同年、子の信綱を殺害。1582年高原諏訪城主江馬輝盛を合戦で滅ぼし
、1583年弟で鍋山城主の顕綱を殺害し、自綱は飛騨の大半を手中に収めた。1585年
秀吉の命で越前大野城主金森長近が飛騨へ攻め入り、自綱を攻め滅ぼし、飛騨3万3300
石で領主となる。長近は初め鍋山城を本城としたが、手狭になり、1588年高山城築城に
着手。松倉城の石垣なども使い、16年の歳月を経て、1604年に全てが完成した。長近
の後、重頼、頼直、頼業と6代続いたが、1692年天領となり、1695年取り壊されて
廃城となる。現在は城山公園と称し、曲輪、土塁、石垣、堀などが残る。

【所感】高山陣屋から東に見える山が「高山城跡」の城山で、南北に連なる舌状丘陵の北端
に在ります。山の北側に在る「二之丸児童遊園地」に車を止め、案内板に従って本丸へ向け
て遊歩道を歩きます。私は山の東側へ回り、白雲水〔岐阜県の名水五十選〕が在る場所から
登りました。石垣で支えられた本丸は、綺麗に整備され、ベンチや東屋などが在ります。暑
い季節で枝葉が伸び、景色が見えにくい状態でしたが、涼しい風が汗した体を冷やしてくれ
ました。




登城口



登城道





中段屋形曲輪





搦手一之木戸・東北曲輪





東北曲輪



本丸屋形搦手虎口





本丸屋形下段



本丸屋形玄関門





復元 本丸屋形石垣



使者之間・本丸屋形上段





本丸屋形上段



大手台所下入口





南之出丸・もみの木平



塩蔵曲輪・号砲平



中佐平





復元 大手門石垣





白雲水・城用水



三之丸堀