三河 東広瀬城
Higashi Hirose castle
東広瀬城跡【愛知県豊田市東広瀬町城下】
広瀬神社【愛知県豊田市東広瀬町城下38】
東広瀬小学校【愛知県豊田市東広瀬町大根坂8】
廣濟寺【愛知県豊田市東広瀬町大根坂21】
【立地】平山城
【別称】広瀬東城・広瀬城
【歴史】1344年児島高徳が築き、嫡男児島勘解由高盛が城主〔1346年とも〕となる。1364
年高徳死去〔1382年とも〕。1384年頃、児島高徳の三男三宅貞宜が城主。以後、三宅氏代々の
居城となる。天文年間(1532〜1555年)頃、城主は三宅高信の長子高貞。高貞は松平氏との対
戦が多く、1533年松平宗家7代清康「井田野の戦い」、1548年松平宗家8代広忠の来攻、15
58年松平元康〔徳川家康〕の来攻などがあり、1560年「古鼠坂〔仏楚坂〕の戦い」で松平元康に
敗れ、落城となる。この戦で高貞の養嗣子三宅攝津守高清が討死、三宅高貞は家康に仕え、1573年
に没した。現在は神社に変わり、曲輪、土塁などが残る。
【所感】県道11号線西広瀬町信号から矢作川に架かる広瀬橋を渡った左手の山が城跡になります。名
鉄三河線旧広瀬駅の東方です。登城口は2ヶ所。広瀬橋近くの石段から上るルート、南麓の東広瀬城址
の石碑が立つ県道355号線から登るルートです。山の最高部が主郭で廣瀬神社、城跡碑が在り、西側
に一段下って二の郭、東麓のお宅が居館跡になります。居館跡は南側と西側に土塁が残り、この土塁上
を歩いて廣瀬神社へ向います。西広瀬城跡と東広瀬城跡は広瀬橋〔矢作川〕を挟んだ対角500mに位
置します。近いので是非セットでお訪ね下さい。また、東広瀬小学校東隣りの広済寺に児島高徳の墓が
在ります。本堂西側の駐車場から平坦な未舗装路を森へ入って行くと、石柱に囲まれて宝筐印塔が4基
並んでいます。背後の板に薄っすら“児島高徳”の字が見えます。
県道355号線から見た東広瀬城跡
東広瀬城址の石碑・県道355号線沿い
居館跡の土塁
土塁からの登城道・廣瀬神社鳥居
二の郭への登城道
二の郭
主郭・廣瀬神社
廣瀬城址の石碑・主郭・廣瀬神社〔写真:左〕児島高徳の墓・廣濟寺〔写真:右〕