三河 姫小川城
Himeogawa castle

姫小川城跡【愛知県安城市東町獅子塚】
  誓願寺【愛知県安城市姫小川町姫150】
  西光寺【愛知県岡崎市鴨田町向山38−1】

【立地】平城
【別称】姫城・姫郷城

【歴史】応仁年間(1467〜1468年)頃、内藤重清が三河国へ来住し、碧海郡〔安城市〕姫小川
の領主になったことに始まる。1493年「第2次井田野合戦」の際、加茂連合軍に加わり、松平宗家
4代親忠との戦いに敗れ、1494年親忠に仕えた。1523年姫小川に没する。重清の子義清は岡崎
に生まれ、上野上村城〔豊田市上郷町〕を居城とし、松平宗家6代信忠、7代清康に仕えた。1530
年「宇利城攻め」などで戦功を挙げ、1535年岡崎五人衆〔天野貞有・石川忠輔・植村新六・内藤義
清・林藤助〕と称された。義清の子内藤清長が姫小川城を築いたとされ、家長、信成兄弟の居城になっ
たと云う。清長は松平宗家8代広忠、9代家康に仕えたが、1563〜1564年「三河一向一揆」の
際、一揆方に加担した為、荻城〔豊川市萩町〕に蟄居となり、1564年病没した。家長は上野上村城
に生まれ、「三河一向一揆」の際、門徒でありながら家康方に付いた。その後も家康に従って数々の戦
功を挙げ、1590年家康関東移封に伴い、家長も上総国佐貫城2万石へ移り、廃城となる。姫小川城
跡は住宅地に変わり、遺構は無い。誓願寺は堀、土塁が残り、境内に内藤重清公・清長公の墓がある。

【所感】誓願寺の寺門前に車を止め、城跡までは歩いて行きました。誓願寺の北東150m程のイノア
ックコーポレーション東町社宅の辺りが城跡になります。誓願寺は本證寺と同じ城郭のような堀、土塁
を持っており、境内の北西端にその遺構の一部を見ることが出来ます。寺門前にも水堀の名残りと思わ
れる湿地が在りますが、どうなんでしょうか。




姫小川城跡辺り

 

誓願寺〔写真:左〕内藤重清公の墓・誓願寺〔写真:右〕


 

内藤義清公の墓・西光寺〔写真:左〕内藤清長公の墓・誓願寺〔写真:右〕

 

誓願寺北西端の堀跡〔写真:左〕誓願寺北西端の土塁〔写真:右〕