遠江 平芝陣屋
Hirashiba Jinya

平芝陣屋跡【静岡県袋井市浅羽】

【立地】平地

【歴史】1860年袋井の川井〔米津氏陣屋〕から移転した三河国・遠江国内4000石の
旗本・米津小太夫田利の陣屋である。浅羽地区では弥太井・小口市場・八幡・長溝村におい
て524石の知行地を持ち、1868年まで存続した。袋井の川井〔米津氏陣屋〕では、安
政年間〔1855〜1860〕に相次ぐ災害(1854年安政地震、1855年太田川・原
野谷川の洪水、1856年大暴風雨による袋井一帯の浸水、1858年安政の大洪水による
農作物全損)に見舞われ、平芝〔弥太井原〕は地盤が固く、丘陵地であり、横須賀⇔袋井の
街道沿いであったことから、移転先に選定された。1870年荒井三喜三郎信敬が28戸の
旧幕臣を引き連れて平芝陣屋跡に居住し、茶畑開墾に取り組んだ。現在は雑木林となり、曲
輪、土塁、横堀が残る。

【所感】平芝陣屋跡はグーグルアップに載っていますが、浅羽エリアの北部に位置し、平芝
信号交差点から東へ200m進んだ左手に“陣屋跡”の看板があります。ここから未舗装路
を100m程歩くと、正面に平芝陣屋の看板と平芝陣屋跡碑が在ります。平芝陣屋の看板は
新しくなり、笹が刈られ、平芝陣屋跡碑も撮り易くなっていました。遺構は笹や木々に覆わ
れて全く確認出来ず、そもそも私有地なので中には入れません。米津氏が平芝陣屋以前に居
た袋井の川井は、円通寺の南〔原野谷川〕に在った川井代官所〔袋井陣屋〕ではなく、川井
東信号交差点付近に在った旗本米津氏陣屋のようです。三河国では牛久保に陣屋を構えてい
ました。




平芝陣屋跡の入口



「平芝陣屋跡と武士の茶園開墾」の看板と「平芝陣屋跡碑」