出羽 檜山城
Hiyama castle
檜山城跡【秋田県能代市檜山】
多宝院【秋田県能代市檜山字小間木52】
【立地】山城
【別称】霧山城・檜山城・堀ノ内城
【国指定史跡】檜山安東氏城館跡(檜山城跡、大館跡、茶臼館跡、国清寺跡)
【歴史】1495年頃、安東忠季の築城とされ、代々檜山安東氏の居城となる。安東氏は青
森県十三湊に起こり、北海道・青森・秋田地方に勢力を伸ばし、戦国時代末期には日本海沿
岸・敦賀湾まで制海権を持っていた。室町時代、安東氏は湊と檜山に分かれるが、併存のま
ま戦国時代を迎え、愛季・実季の代が全盛期となる。愛季は湊・檜山両家を併せ、先ず、比
内の浅利則頼の扇田長岡城を攻め、次いで阿仁の嘉成右馬頭に命じて鹿角郡を3度攻撃、1
567〜1570年同郡を支配した。1587年愛季没後、檜山の実季が次ぐが、領内支城
主は本家から独立しようと、内紛「湊騒動」が起こる。1589年2月伯父の豊島道季が謀
反を起こし、湊高季もこれに同調、更に仙北の戸沢も加わった。実季は苦戦し、檜山城に半
年近く籠城。由利の赤尾津氏・羽川氏の応援を得て、一族の争いを鎮圧した。その後、居城
を檜山から土崎湊に移し、1591年実季は秋田城介を名乗る。1602年佐竹氏が秋田へ
入ると、小場義成の居城となり、1610年小場氏が大館城へ移ると、多賀谷氏の居城とな
った。1620年幕府の一国一城令で廃城となる。1980年大館跡、茶臼館跡、国清寺跡
と共に国指定史跡となり、現在は曲輪、土塁、堀切などが残る。
【所感】多宝院の入口でもある「檜山安東氏城館跡登口」の標柱の場所から、左の舗装路を
上がり切ると、三の丸の入口に着きます。駐車場はありませんが、車で行きました。三の丸
が最も広く、細長い曲輪の西端に櫓台〔土塁〕が在り、ここから能代の家々が見えます。三
の丸東側に二の丸・本丸と並んで在ります。予定に無く立ち寄っただけなので、時間が有れ
ば、大館跡や茶臼館跡・国清寺跡にも行きたかったか〜。
檜山城跡登城口
土塁・三の丸
土塁から見た景色
三の丸
二の丸
本丸