三河 細川城山城
Hosokawa shiroyama castle
細川城山城跡【愛知県岡崎市細川町城山】
蓮性院【愛知県岡崎市細川町権水56】
松明院【愛知県岡崎市細川町根古屋123】
【立地】丘城
【別称】細川村古城
【細川松平家】
【歴史】築城年は定かではない。標高38m、比高10mの丘陵端に築かれた城で、城主に松平久
助信乗・久助某の名がある。信乗は、高月院古記録の徳川家御系図に松平宗家4代親忠の子として
刑部親光−三郎次郎信乗の流れがあり、安城の西福釜松平氏とされる。また、旧岩津町誌には松平
乗元の子孫松平久助・源五郎光則らが築いたとある。現在は畑に変わり、曲輪、土塁が残る。細川
は大給松平家初代乗元〔1443〜1534年〕が大給とも父松平宗家4代親忠から与えられた領
地で、2代乗正(親世)〔1482〜1541年〕の時、1506〜1510年大給城の大修築が
行われ、細川城→大給城へ移ったと云う。大給松平家5代真乗は1575年以降に大給→細川へ移
り、1582年自身が大給→細川に移した松明院に葬られる。また、1588年頃、大給松平家6
代家乗の家老松平五左衛門近正〔1547〜1600年〕が細川に御宿所を構えたともある。松平
近正は松平親氏顕彰会の松平・徳川氏略系譜でみると、大給松平家2代乗正−親清−近正−一生−
成重とあり、大給松平家の一族とされる。大給松平氏・一族の居住地が細川城山城、細川御前田城
、別の場所かは不明。
【所感】蓮性院の南の山が城跡になります。竹林、雑木林に囲まれており、周辺の道からは分かり
辛いかも知れません。城跡へ上る道は西、東に2つあります。上り切った最高地が曲輪で、北半分
は竹薮・畑、南半分は雑草地になっています。この曲輪の東側にも一段低くなって平坦地が在りま
すが、現在、NTTドコモの鉄塔が建っています。畑で働く人の話では、「初め、この地に居住し
た細川氏は、後に国道248号線南の細川城へ移った」と話していましたが、細川城と細川城山城
の使われ方がよく分かりません。城跡の300m程南に大給松平家菩提寺「松明院」が在ります。
細川城山城跡全景〔写真:左〕松平久助信乗公の墓・蓮性院〔写真:右〕
曲輪東端の土塁〔写真:左〕曲輪北端の土塁〔写真:右〕
曲輪の西側〔写真:左〕曲輪の北東端〔写真:右〕
大給松平家の菩提寺「松明院」〔写真:左〕大給松平氏の墓・松明院〔写真:右〕