三河 伊保西古城
Ibo Nishi castle
伊保西古城跡【愛知県豊田市保見町西古城】
豊田市教職員会館【愛知県豊田市保見町西古城92】
【立地】丘城
【別称】伊保城・下伊保城
【歴史】標高116m、比高20mの丘陵上に築かれた城である。1497年三宅児島太郎善次、その
子重次、家次が当地へ移住したことに始まる。1527年桜井松平内膳正家重が入り、享禄年間(15
28〜1531年)、尾張品野城へ移る。その後、三宅周防守清貞を経て、1531年松平三郎右衛門
字範が入る。次第に織田信長×松平元康間で領地争いが起こり、1562年両者の攻守同盟後は織田領
となり、佐久間信盛の居城となる。1590年頃、廃城になったとされる。現在は曲輪、虎口が残る。
【所感】保見中学校の西500mに位置し、教職員会館前の細道を西進すると、右手に城跡看板が在り
ます。丸太段を50m程上ると、虎口、歴史看板が在り、主郭の真ん中に石碑がドンと立っています。
よく整備されている城跡です。保見には「伊保城」「伊保古城」「伊保東古城」「伊保西古城」の4つ
の城が在ったとされます。
主郭
虎口〔写真:左〕伊保西古城址の縄張り図・説明看板〔写真:右〕