陸奥 一戸城
Ichinohe castle

         一戸城跡【岩手県二戸郡一戸町一戸字北舘】
コスモ石油一戸インターSS【岩手県二戸郡一戸町一戸字北舘130】

【立地】丘城

【歴史】築城年は定かではない。一戸城は馬渕川の東岸の台地〔標高170〜180m・比
高40m〕上に一戸義実が築いたと云う。1189年源頼朝の藤原泰衡討伐において南部家
初代光行〔1165〜1236年〕は軍功あって糖部を拝領。1192年本国甲州南部郷か
ら下向した南部光行は、糠部領内の一戸を長子行朝に与えて一戸氏を名乗り、野田〔二戸郡
一戸町〕に住んだ。一戸氏2代義実は一戸城を築くが、嗣子を南部家3代時実の子義光を迎
え、義実は本拠を甲斐国南部郷に移し、一戸城を南部本家に返上した。下って大永年間(1
521〜1528年)、甲斐は武田信虎の時代となり、甲斐南部氏は難を逃れて糠部の本家
を頼り、再び一戸城に入った。一戸政連の代になると、南部宗家25代晴継が13歳で病没
したことから、南部家の後継者争いが起こる。実力者九戸政実は弟の実親〔25代晴継の姉
婿〕を推し、晴継の後見人北信愛は信直〔24代晴政の弟高信の子〕を擁立。家臣団も2派
に分かれて対立したが、北信愛の強引な主張で26代は信直に決定した。1581年それを
不服とする九戸政実は一戸城主一戸政連を訪ね、南部信直殺略計画を話すが、これを断り、
陰謀の発覚を恐れて政連とその子を暗殺。九戸政実は一戸城に腹心の一戸図書と入れた。一
戸城の変を聞いた南部信直は直ちに一戸城を襲い、一戸図書を討ち、北信愛の次男北秀愛を
城代に置いた。1591年正月、領主は宗家三戸南部信直に年賀の挨拶に行くことが慣例だ
ったが、九戸政実は病気を理由に欠席。3月13日政実は一戸・苫米地・伝法寺の三城に夜
襲を仕掛け、一戸城主北秀愛はよく防戦し、翌日、この異変を三戸城に注進した。「九戸政
実の乱」は秀吉軍によって幕を閉じ、石井信助を城代に置いたが、1592年廃城となる。
現在は公園、耕地などに変わり、曲輪が残る。


【所感】北から北館、八幡館、神明館・小館、常念館の順で650mに亘って展開する大城
郭で、曲輪間は谷や川で仕切られています。今回は最も訪ねやすい北館〔国道4号線沿い・
一戸公園・駐車場あり〕を訪ねました。曲輪内は一戸上水道の建物・石碑群・東屋、南端に
トイレ・三神社と一戸城跡碑があります。次回は時間を掛けて主曲輪の八幡館、その他の館
跡を撮りたいと思います。




一戸城跡碑・北館・一戸公園



三神社・北館・一戸公園





一戸城跡碑・北館・一戸公園