駿河 庵原城
Ihara castle
庵原城跡【静岡県静岡市清水区草ヶ谷・山切】
テクノミックスメンテ【静岡県静岡市清水区山切47−8】
一乗寺【静岡県静岡市清水区庵原町1937】
【立地】平山城
【別称】庵原山城
【歴史】築城年は定かではない。室町期、標高49mの丘陵先端に築かれた庵原氏の城とさ
れる。庵原氏は藤原秀衡の後裔とされ、代々今川家臣、太原雪斎も庵原氏の一族と云う。1
560年「桶狭間の戦い」では庵原美作守元政らが参戦し、今川義元とともに討死した。1
568年武田軍の駿河侵攻で武田方の城となり、今川氏旧臣の朝比奈駿河守信置が入り、大
修築を行うが、1582年武田家滅亡とともに朝比奈父子も庵原館で自害、廃城となった。
現在は新東名高速道路建設で大部分を消失し、北端の曲輪、堀切が残るのみである。
【所感】山切川・庵原川に挟まれ、新東名高速道路の清水連絡路を支える丘陵先端が庵原城
跡です。主要部となる曲輪1・2・3、それらを取り巻く腰曲輪や堀切は消失。丘陵の北側
から登ると、北端の曲輪(みかん畑)と堀切が確認出来ますが、その先は道が無く、雑草が
凄くて先へ進めません。庵原山城の看板は城跡の西側、ふるさと農道の標柱の近くに倒れて
いたものを撮りました。近くの一乗寺に庵原氏の墓、朝比奈駿河守信置の墓があります。
高速道路建設で消失した庵原城跡の主要部
東側から見た庵原城跡の残地
庵原山城の看板
庵原城跡の登城口
残っている曲輪への道
残っている曲輪(蜜柑畑)と堀切
朝比奈駿河守信置の墓・一乗寺