遠江 飯田城
Iida castle
飯田城跡【静岡県周智郡森町飯田】
森町飯田郵便局【静岡県周智郡森町飯田2796−15】
崇信寺【静岡県周智群森町飯田3052】
【立地】丘城
【町指定史跡】
【歴史】飯田城主山内氏は備後国を本拠とし、1281年飯田荘上郷〔天方地区〕内の筥島
(鍛冶島)・西俣・加保(亀久保)村などの地頭を安堵された山内道茂を祖とし、山内道弘
・通秀(天方氏)の頃に遠江に赴き、天方本城を築いたとされる。一方、1327年飯田荘
下郷において、山内孫太郎入道光と山内刑部阿者梨道俊が打、越田・飯田里・楠木里の田地
相論に及んでいることから、鎌倉時代(1185〜1333年)末期には山内氏が当地の館
を構えて周辺の田地を領有していたとされる。飯田城の築城は1400年頃とされ、天方城
主山内対馬守道美が天方城を弟山城守に譲り、飯田古城〔現:崇信寺〕が築いたとされる。
1401年崇信寺を創建する際、城地の一部を寄進、1425年道美没後、久通−通泰と続
き、1545年頃、通泰が現在の地に新城を築く。1569年6月徳川家康の遠江侵攻の際
、榊原康政・大須賀康高らの攻撃で落城、山内大和守通泰も亡くなった。通泰の子伊織は徳
川の従士梅村彦兵衛に伴われて三河国加茂郡広瀬村〔豊田市〕に落ち延び、加茂郡上野山村
に土着して伝右衛門と称した。現在は整備され、曲輪、土塁、堀切が残る。
【所感】県道58号線飯田郵便局の少し北に崇信寺の案内看板があり、看板に従って寺まで
行きました。寺門前の茶畑内砂利道を南へ道なりに進み、右の道を降りて、更に道なりに歩
くと、右上に「飯田城」の看板が見えて来ます。この看板の裏側に「遠州飯田城想定図」、
石碑の横に「飯田城跡の歴史と縄張図」の看板があります。14年前と違って木が切り倒さ
れ、至る所に遺構の標柱も立ち、今後も更に手が入ります。
崇信寺・飯田古城跡
崇信寺から飯田城跡への道
飯田城跡遠景
山内対馬守道美公飯田城址の石碑・物見曲輪
物見曲輪
二重堀切・1本目
二重堀切・2本目
本丸北側の腰曲輪
本丸
本丸東端の土塁上の道
本丸西端の土塁
二の丸
二の丸南端の土塁
本丸東側の腰曲輪