遠江 飯田古城
Iida old castle

飯田古城跡【静岡県周智郡森町飯田】
  崇信寺【静岡県周智郡森町飯田3052】
飯田小学校【静岡県周智郡森町飯田3310-1】

【立地】丘城

【歴史】飯田城主山内氏は備後国を本拠とし、1281年飯田荘上郷〔天方地区〕内の筥島
(鍛冶島)・西俣・加保(亀久保)村などの地頭を安堵された山内道茂を祖とし、山内道弘
・通秀(天方氏)の頃に遠江に赴き、天方本城を築いたとされる。一方、1327年飯田荘
下郷において、山内孫太郎入道光と山内刑部阿者梨道俊が打、越田・飯田里・楠木里の田地
相論に及んでいることから、鎌倉時代(1185~1333年)末期には山内氏が当地の館
を構えて周辺の田地を領有していたとされる。飯田城の築城は1400年頃とされ、天方城
主山内対馬守道美が天方城を弟山城守に譲り、飯田古城〔現:崇信寺〕を築いたとされる。
1401年崇信寺を創建する際、城地の一部を寄進、1425年道美没後、久通-通泰と続
き、1545年頃、通泰が現在の地に新城を築く。1569年6月徳川家康の遠江侵攻の際
、榊原康政・大須賀康高らの攻撃で落城、山内大和守通泰も亡くなった。通泰の子伊織は徳
川の従士梅村彦兵衛に伴われて三河国加茂郡広瀬村〔豊田市〕に落ち延び、加茂郡上野山村
に土着して伝右衛門と称した。現在は整備され、曲輪、土塁、堀切が残る。

【所感】崇信寺および背後の墓地+栗林が城域とされ、崇信寺の西側に土塁が残っています
。崇信寺東側に長い尾根が南北方向に横たわり、その中央辺りに切通し、東へ伸びる支尾根
〔東尾根〕の先端に堀切+土橋があります。崇信寺裏手の茶畑から切通しへ行く道があり、
切通しを貫けて反対側に出て左へ進むと、東尾根先端の土橋+堀切が確認出来ます。金比羅
神社の手前にも浅い二重堀切がありますが、本来であれば東尾根の基点となる祠〔古墳〕か
ら北へ進めば良いんですが、若木が生い茂って道を塞いでいたので、私は一旦崇信寺の裏手
に戻り、北端まで歩いて、再び尾根に乗って二重堀切まで行きました。縄張図は崇信寺山門
横の看板に描かれているので、スマホで撮って位置関係を見ながら回ることをお薦めします
。近くの「飯田城跡」とセットで訪ねると歴史も繋がります!




崇信寺・飯田古城跡



崇信寺西端の土塁・飯田古城跡




切通しへの道



古道の切通し





切通し→尾根の基点への道



崇信寺古墳の祠・尾根の基点



尾根の基点→東尾根



東尾根先端の堀切







二重堀切への道



金比羅神社から2本目の堀切



金比羅神社から1本目の堀切



金比羅神社・上段



金比羅神社・下段