伊勢 上野城
Ueno castle

    上野城跡【三重県津市河芸町上野】
本城山青少年公園【三重県津市河芸町上野2640】
     円光寺【三重県津市河芸町上野2861】

【立地】平山城

【歴史】1570年伊勢を攻略した織田信長の弟織田信包が、津城の仮城として分部左京亮
光嘉を普請奉行に本城山〔標高30m〕に築いた城である。分部氏は長野氏の一族で、5代
豊藤駿河守の子祐成が分部城〔津市分部〕に住んだことが始まりと云う。光嘉は長野氏の分
家で安濃城主細野藤光の子、分部光高の跡を継いで分部城主となった。1568年信長の伊
勢侵攻の際、長野氏の与力であった川北氏と共に織田氏に従った。1580年織田信包は完
成した津城へ移り、上野城は津城の出城として分部光嘉が城代となった。1594年信包は
近江へ移り、1595年光嘉は豊臣秀吉から1万石を得て上野城主となる。1600年「関
ヶ原の戦い」が起こり、光嘉は徳川家康の「上杉征伐」に津城主富田信高と共に従軍したが
、石田軍の伊賀伊勢侵攻の為に戻り、籠城戦を展開した。戦功で2万石となり、光信を後嗣
としたが、1601年光嘉は戦の受傷が原因で没した。1619年光信は近江国大溝藩へ転
封となり、上野城は廃城となる。現在は本城山青少年公園となり、曲輪、土塁などが残る。

【所感】主郭と呼ばれる最高所は櫓台上に展望台が建ち、途切れながらも主郭を取り囲むよ
うに土塁が残っています。主郭南東の一段下がった遊具が在る平坦地が二の郭。二の郭南東
下の平坦地、主郭横の駐車場やグランドなども曲輪であった可能性があります。今回は織豊
期の城とされる本城山青少年公園を訪ねましたが、次回は東隣りの竹林に戦国期の曲輪、土
塁、土橋が在るようなので、再訪したいと思います。





主郭の櫓台・本城山青少年公園の展望台




本城山青少年公園の展望台から見た主郭



主郭南西端の土塁



主郭北東端の土塁



主郭南東端の土塁



主郭南東下の二の郭



二の郭南東下の曲輪



主郭北西下の曲輪・駐車場



本城山青少年公園グランド・曲輪か