三河 石田陣屋
Ishida Jinya
石田陣屋跡【愛知県新城市石田字東金国】
【立地】平地
【歴史】1648年、菅沼定賞が3000石で構えた陣屋で、表門を長屋門とし、周囲を塀
で囲み、3棟の役所、役宅が在ったと云う。その後、定辰−定賢−定寛−定候−定敬−某−
賞治と続いた。1648年〜元禄年間(1688〜1704年)まで代官を今泉忠左衛門が
務めた。現在は住宅、畑地に変わり、屋敷地、井戸が残る。
【所感】国道301号線石田万福信号を西へ曲がり、左1本目の脇道を入った最後の右側の
お宅が陣屋跡になります。道が細いので脇道へ入る手前で車を止めます。井戸は確認してい
ませんが、おそらく豊川のものであろう丸石が屋敷地東側に積まれています。
石田陣屋跡〔写真:左〕屋敷地の石積〔写真:右〕