三河 石川丈山屋敷
Ishikawa Jozan residence

      石川丈山屋敷跡・丈山苑【愛知県安城市和泉町中本郷180−1】
           詩仙堂丈山寺【京都府京都市左京区一乗寺門口町27】
             和泉麺店【愛知県安城市和泉町北本郷54−3】
JAあいち中央産直センター安城南部【愛知県安城市和泉町家下4】

【立地】平地
【別称】和泉石川古屋敷・石川丈山邸

【歴史】1530年松平清康の「宇利城攻め」で戦功を挙げた石川信治が、和泉の地を得て築いたとさ
れる。その後、正信−信定−信英が居住し、1590年廃屋となる。1583年石川丈山は信定の長男
として生まれ、名を重之と言った。1598年家康の近習となり、1615年「大坂夏の陣」に於いて
先登した為、軍令違反に問われて蟄居の身となる。これを機に学を志し、林羅山を介して藤原惺窩と出
会い、儒学の教えを受ける中で自分の進むべき道を見付けた。文武に優れた丈山は仕官の誘いを断って
いたが、母に孝養を尽す為、やむなく広島藩浅野家へ儒学者として再出仕した。1635年母が亡くな
り、1636年京都相国寺近くに睡竹堂を築いて移住した。1641年洛北一乗寺に詩仙堂を造営して
住み、1672年90歳で亡くなった。丈山は漢詩人であり、隷書を日本で初めて取り入れた書家とし
て知られる他、作庭家、煎茶〔文人茶〕の開祖とも云われている。現在は丈山苑となり、遺構は無い。

【所感】丈山苑は丈山小学校の北方に位置し、駐車場は丈山苑北方の和泉麺店の横に在ります。京都の
詩仙堂を模した詩仙閣、丈山が手掛けた酬恩庵北庭・東本願寺渉成園・詩仙堂の三庭園をイメージした
庭から成り立っています。入苑料100円で建物・庭園が散策出来、急な階段の嘯月楼からは庭園全体
を見ることが出来ます。京都の詩仙堂と同じく、林羅山と協議して選定した「三十六詩仙」の額も飾ら
れています。丈山ゆかりのものを結集して築かれた丈山苑は、多くの方に親しまれ、来苑者が途切れる
ことはありません。ちなみに丈山苑東方の少し離れた場所に在る「石川丈山翁邸趾」の石碑は、JAあ
いち中央産直センター北側の駐車場に立ってます。




石川丈山翁像

 

石川丈山翁邸趾の石碑〔写真:左〕石川丈山翁邸址の石碑・丈山苑北入口〔写真:右〕


 

石川丈山翁邸址の石碑・丈山苑南西角〔写真:左〕丈山苑入口〔写真:右〕

 

複製 三十六詩仙の額・詩仙閣〔写真:左〕詩仙閣から見た唐様庭園〔写真:右〕



回遊式池泉庭園・丈山苑



枯山水蓬莱庭園・丈山苑