陸奥 岩切城
Iwakiri castle
岩切城跡【宮城県仙台市宮城野区岩切字入山・宮城郡利府町神谷沢字広畑】
高森山公園【宮城県仙台市宮城野区岩切字入山】
【立地】丘城
【別称】高森城・高森館・鴻の館・岩切館
【国指定史跡】岩切城跡
【歴史】築城年は定かではない。標高106mの丘陵上〔高森山〕に築かれた留守氏代々の
居城である。1189年「奥州合戦」1189〜1190年「大河兼任の乱」が終わって間
もなく、鎌倉幕府より伊沢左近将監家景が陸奥国留守職を任命され、宮城郡高用名の地頭職
を得て、留守氏の祖となった。伊沢氏は2代民部少輔家元より「留守氏」を称し、その後、
左兵衛尉家広−左兵衛尉恒家−出羽守家信−遠江守家助−美作守家高−美作二郎家冬−淡路
守某−弾正少弼某と続いた。1350〜1351年「岩切城合戦」の後、留守氏の勢力は衰
え、11代駿河守家明は大崎氏の配下となった。その後、持家を経て、文明年間(1469
〜1486年)、伊達持宗の子郡宗を養子として迎え、伊達氏を頼ることとなる。藤王丸−
景宗−顕宗を経て、1567年伊達晴宗の三男政景が養子として入ったが、政景後継を不服
とする村岡右兵衛らの反乱が起きた。1570年反乱が鎮まると、政景は利府城へ移り、廃
城となる。江戸時代は狩場として使われたと云う。現在は高森山公園と称され、曲輪、土塁
、堀切、土橋などが残り、1982年国史跡に指定されている。
【所感】仙台市宮城野区と宮城郡利府町の市境に在る高森山公園が城跡です。宮城遠征最後
の訪城で、東方の利府町側から上りました。城跡の石碑を過ぎると、道の両脇に堀切らしき
ものが在り、道の部分だけが埋められたように感じます。更に進むと、東郭の入口左に長い
土塁が在り、東郭北側には幾つかの土塁、南側は幅広の土橋を経て曲輪が在ります。二の丸
跡−東郭間には、お手本のような土橋と堀切が在り、遺構の良さに感動しました。一の丸、
二の丸、三の丸は南方へ綺麗に一二三段に在り、トイレ、東屋も在ります。一の丸から西方
下を覗くと、これまた立派な堀切が登場。その先も更に西郭が伸び、丁度、数字の3のよう
な縄張りになっています。国指定史跡ということで城郭全体が整備され、桜の木も多く植わ
っています。今回の遠征で仙台城と同じぐらい感動と満足感を味わえた城跡です。
岩切城跡の石碑・東登城道〔写真:左〕東曲輪群登城道沿いの土塁〔写真:右〕
東曲輪群六の郭と七の郭〔写真:左〕東曲輪群三の郭と二の郭〔写真:右〕
東曲輪群三の郭内の土塁〔写真:左〕東曲輪群三の郭西側の土塁〔写真:右〕
東曲輪群四の郭側から見た三の郭〔写真:左〕西曲輪群−東曲輪群間の土橋〔写真:右〕
西曲輪群−東曲輪群間の堀切〔写真:左〕西曲輪群一の郭〔写真:右〕
高森城跡の木碑・西曲輪群一の郭〔写真:左〕西曲輪群二の郭と三の郭〔写真:右〕
西曲輪群一の郭−六の郭間の堀切