三河 岩倉城ノ峠城
Iwakura shironotoge castle
岩倉城ノ峠城跡【愛知県豊田市岩倉町西脇】
顕正寺【愛知県豊田市岩倉町西脇71】
岩倉町西区民会館【愛知県豊田市岩倉町西脇69−1】
【立地】丘城
【別称】岩倉城・西脇城・岩倉村古屋敷
【歴史】1469年頃、戸田弾正左衛門宗光が上野上村城〔豊田市上郷町〕を築いて後、岩倉村に進出
して築いたとされる。標高80m、比高10mの“城の峠”と呼ばれる地で、城主に戸田又次〔又八〕
、岩倉隼人助、天野藤右衛門の名があるが、岩倉城ノ浦城の城主と混同して分からない。1480年戸
田宗光は田原城を築いて移る。宗光から下って直頼は家康に仕えて京都伏見の城代となり、その子直秀
は武州那賀郡秋山城主、更にその子直矣は800石で三河岩倉城に復した。1615年「大坂夏の陣」
の祭、直矣は家康軍に属して戦死。嫡子直昌は受傷しながらも、家臣柴田弥十郎重行・石原勘三郎・田
中氏らとともに帰城した。現在はゲートボール場、山林、畑地、住宅となり、遺構は無い。
【所感】県道340号線と水源橋が交差する水源橋東詰信号を東へ1キロ程進むと、右手に岩倉町西区
民会館・顕正寺が在り、これらの道を挟んだ北側辺りが城跡とされます。この辺りは嘗て「城の峠」と
呼ばれた地で、東名高速道路建設の採土によって原型を失ったそうです。確かに道を走っていると、峠
のように高い場所になっています。顕正寺の墓地に岩倉城主戸田又兵衛直矣公の廟所が在りますが、寺
に隣接して道路辺りに城が在ったのかもしれません。
岩倉城ノ峠城跡辺りか
顕正寺〔写真:左〕岩倉城主戸田又兵衛直矣公廟所・顕正寺〔写真:右〕