遠江 向笠城
Mukasa castle

    向笠城跡【静岡県磐田市向笠竹之内】
     新豊院【静岡県磐田市向笠竹之内14】
     法雲寺【静岡県磐田市向笠西374】
コーシンサービス【静岡県磐田市笠梅1220−18】

【立地】平山城
【別称】六笠城


【歴史】築城年は定かではない。向笠氏は向笠郷を中心に勢力を持ち、南北朝時代(133
7〜1392年)に興った一族である。向笠郷は太田川・小藪川・敷地川の三河川流域の肥
沃な土地であり、1335年足利尊氏によって京都・石清水八幡宮に寄進されている。13
58年頃、遠江国国衙領として熊野速玉神社を造営するための年貢343石余を負担し、国
衙領の中で最も多かった。向笠氏は額田原台地東端の新豊院付近に館を構え、戦国期に裏山
に詰城を築いたようだが、現在は確認出来ない。新豊院の東南に城屋敷・陣垣戸・奥屋敷の
地名が残っている。1508年今川氏親の将伊勢新九郎長氏〔北条早雲〕が三州岩津城攻め
の時、向笠氏も参戦。1572年10月より武田信玄の遠江侵攻に伴い、向笠、各和などの
城が落ち、支城として修築されたが、1573年3月徳川軍の酒井忠次・平岩親吉らの攻撃
で落城。幼主虎千代〔後の資少〕は北条氏を頼って落ち延びたと云う。城が在ったという山
の一部は残るが、採土によって消失し、現在は畑地、太陽光発電所に変わり、遺構は無い。


【所感】向笠城があった山・向笠伯耆守の墓・新豊院山古墳群への道は、本来であれば新豊
院の裏手から行けるはずですが、お寺の方に尋ねたら「倒木などで道が荒れてる」とのこと
で、車だけ止めされて頂き、教えてもらった山の北側から入るルートへ歩いて行くことにし
ました。新豊院から県道277号線に出て左へ進み、新笠梅橋西信号交差点を左折して県道
374号線に入ります。コーシンサービスを過ぎた左手の舗装路に入口の看板が立っていま
す。看板に従って進み、五輪塔を撮った後、山に登りましたが、やはり自然地形の状態で遺
構は確認できませんでした。最高地の北側に横堀らしきものが有りましたが、これは道の跡
のようです。城跡の西麓700m程の場所、敷地川西岸の民家の前に「向笠城跡」の看板が
立っています。一見、この場所に城があったように思われますが、平城では防御が弱く、酒
井忠次勢が攻めるレベルではないので、屋敷跡と思います。




向笠城跡の看板・城屋敷跡



五輪様・向笠伯耆守の五輪塔が在った場所



東方から見た向笠城跡遠景



向笠城跡・五輪塔入口







向笠城跡・五輪塔への道



向笠伯耆守の五輪塔





向笠城跡登城道







残された向笠城跡内の様子



南方から見た向笠城跡遠景



鷲渓山 新豊院



向笠城砦跡・法雲寺