伊予 松山城
Matsuyama castle

       松山城跡【愛媛県松山市丸之内1】
       愛媛県庁【愛媛県松山市一番町4丁目4−2】
    松山地方検察庁【愛媛県松山市一番町4丁目4−1】
    松山地方裁判所【愛媛県松山市一番町3丁目3−8】
     松山市民会館【愛媛県松山市堀之内】
     愛媛県美術館【愛媛県松山市堀之内】
       東雲神社【愛媛県松山市丸之内73−1】
松山東雲中学・高等学校【愛媛県松山市大街道3丁目2−24】

【立地】平山城
【別称】金亀城・勝山城
【天守の構成・形式】連立式層塔型天守

【国重要文化財】天守・三の門南櫓・二の門南櫓・一の門南櫓・乾櫓・野原櫓・隠門続櫓・仕切門
        ・三の門・二の門・一の門・紫竹門・隠門・戸無門・仕切門内塀・三の門東塀・
        二の門東塀・一の門東塀・筋鉄門東塀・紫竹門東塀・紫竹門西塀
【国重要文化財】道後温泉本館

【国指定史跡】松山城跡

【歴史】1585年豊臣秀吉の四国平定後、毛利元就の子小早川隆景は伊予国35万石を得
たが、1587年九州平定の功から筑前・筑後・肥後三国に所領替えとなり、筑前国名島へ
移った。代わって南予に戸田勝俊、東・中予に福島正則が入封。間もなく正則は国府府中城
〔今治市〕へ移り、1595年尾張国清洲へ転封になると、小川祐忠が府中城7万石、加藤
嘉明が久米・温泉・野間・伊予四郡内で6万石を領して伊予郡正木へ入った。1600年「
関ヶ原の戦い」の戦功から20万石に加増され、松山平野中央の独立丘陵勝山〔標高132
m〕に新城築城を許可された。普請奉行は足立重信が務め、1602年本丸・二の丸・三の
丸より工事が始められ、前後して城下町の整備も進められた。1603年未完成の状態で家
臣・住民と共に城下へ移転し、当地を松山と呼んだ。その後も工事は継続され、1627年
頃、全てが完成したと云う。同年、嘉明は陸奥国会津40万石へ転封となり、代わって出羽
国上山から蒲生忠知が伊予国・近江国日野24万で入封したが、1629年蒲生騒動、16
30年久米郡片平村農民運動が起こり、不安定な藩政であった。1634年忠知は参勤交代
の途中で病没し、嫡子が無かった為、蒲生家は断絶、松山領は大洲藩などの在番となった。
翌1635年伊勢国桑名から松平〔久松〕定行が伊予国内15万7000余石を領有して入
封。定行は天守を五重→三重に改築し、領内の殖産興業に努め、藩の基礎を固めた。その後
、定頼−定長−定直−定英−定喬−定功−定静−定国−定則−定通−勝善〔定穀〕−勝成−
定昭−勝成と続いた。1868年「鳥羽・伏見の戦い」の際、松山藩は幕府軍として参加し
たこと、親藩であったことから朝敵とされ、勝成・定昭父子は城から退却し、謹慎の意を表
した。松山城は土佐藩に占拠されたが、後に謹慎の誠意が認められ、占拠が解かれる。同年
、松平姓から久松姓に復するように新政府より命ぜられ、直ちに実施。1871年廃藩置県
を迎える。1950年天守・三の門南櫓・二の門南櫓・一の門南櫓・乾櫓・野原櫓・隠門続
櫓・仕切門・三の門・二の門・一の門・紫竹門・隠門・戸無門・仕切門内塀・三の門東塀・
二の門東塀・一の門東塀・筋鉄門東塀・紫竹門東塀・紫竹門西塀の計21棟が国重要文化財
、1952年国史跡に指定される。1568年小天守・南隅櫓・北隅櫓・多聞櫓・十間廊下
、1971〜1973年筒井門・太鼓門・太鼓櫓、1982年乾門・乾門東続櫓、1984
年艮門・艮門東続櫓、1986年巽櫓など30余棟が復元される。現在は城山公園と称され
、他に曲輪、石垣、井戸など多くの遺構を残る。

【所感】愛媛県庁・地方裁判所・地方検察庁の北側に勝山〔城山公園〕・松山城本丸が在り
、南西麓に二の丸、三の丸の順で在ります。三の丸は公共施設の市民会館や美術館などが建
ち、西側・南側を水堀が走っています。二の丸は嘗て城東中学校が在りましたが、現在は「
松山城二之丸史跡庭園」と称し、広い敷地に多聞櫓・門・井戸・米蔵・庭園などが復興され
、史跡観光地として生まれ変わりました。本丸へは勝山東方の「東雲口登城道」「城山ロー
プウェイ・リフト」、南方の「県庁裏登城道」、西方の「黒門口登城道」、北方「古町口登
城道」の5つの手段がありますが、私は二の丸裏手の黒門口登城道を往復しました。正面に
高石垣が見えてきたら、そこが登り石垣の終点、その上が大手門跡になります。戸無門の本
丸南曲輪から中曲輪→天守曲輪→北曲輪の乾櫓まで数々の現存・復興建造物が建ち並び、順
に1つ1つ写真に収めていく作業になりますが、注意して周らないと、撮り忘れが発生しそ
うな多さです。1城でこれだけ建物を撮った城はありません。





加藤嘉明公騎馬像



天守【国重要文化財】と小天守・本壇









天守【国重要文化財】・本壇



天守3階・本壇



天守2階・本壇





天守1階・本壇



天守地下1階・本壇



小天守・本壇



小天守2階・本壇



小天守1階・本壇





筋鉄門東塀【国重要文化財】・本壇





筋鉄門・本壇





多聞櫓・本壇



南隅櫓・本壇



南隅櫓1階・本壇





北隅櫓と十間廊下と南隅櫓・本壇



北隅櫓2階・本壇



北隅櫓1階・本壇





十間廊下・本壇





玄関多聞・本壇



仕切門【国重要文化財】と内門・本壇



内門・本壇



仕切門内塀【国重要文化財】・本壇



天神櫓・本壇





天神櫓南塀・本壇





三ノ門東塀【国重要文化財】・本壇




三ノ門南櫓【国重要文化財】ニノ門南櫓【国重要文化財】一ノ門南櫓【国重要文化財】



ニノ門【国重要文化財】ニノ門東塀【国重要文化財】・本壇



一ノ門【国重要文化財】ニノ門【国重要文化財】



一ノ門【国重要文化財】





一ノ門南櫓【国重要文化財】



一ノ門東塀【国重要文化財】



紫竹門東塀【国重要文化財】・本丸



紫竹門西塀【国重要文化財】紫竹門【国重要文化財】・本丸







乾門東続櫓続東折曲塀・本丸





乾門東続櫓・本丸



乾門・本丸



乾一ノ門跡・本丸







乾櫓【国重要文化財】・本丸





野原櫓【国重要文化財】・本丸





艮門東続櫓・本丸



艮門・本丸



馬具櫓・本丸



本丸



井戸跡・本丸



巽櫓・本壇




太鼓門・本丸



隠門【国重要文化財】隠門続櫓【国重要文化財】



筒井門



戸無門【国重要文化財】



太鼓櫓



本丸への坂道



待合番所跡



揚木戸門跡







大手門跡



中門跡・黒門口登城道



尾谷門跡・黒門口登城道



持弓櫓台・黒門口登城道



二の丸







二の丸多聞櫓



二の丸井戸



二の丸米蔵



二の丸番所と四足門



二の丸大井戸



二の丸奥門



東大砲台



西大砲台



槻門跡



栂門跡



黒門跡