駿河 泉頭城
Izumigashira castle

泉頭城跡・柿田川湧水群【静岡県駿東郡清水町伏見71-7】

【立地】平城

【歴史】『駿河記』には弘治年間(1555~1558年)に築かれ、小田原北条氏の家臣
多目周防守、荒川清兵衛が守備したとある。1579年『御館の乱』を機に甲相同盟が決裂
、武田勝頼の駿河・伊豆侵攻が始まる。同年9月勝頼は沼津に三枚橋城を築き、北条氏政も
泉頭城を築いて対抗。1581年8月北条は柿田川×狩野川合流点に戸倉城を築いて有利に
進めたが、同年10月勝頼は泉頭・戸倉両城を攻め、戸倉城主笠原新六郎は武田方に寝返っ
た。北条方は大平新城・出城山城に弟の北条氏光を入れて対抗したが、ここでも合戦となっ
た。しかし、1582年2月信長の『武田氏征伐』で武田方は劣勢となり、北条は戸倉城を
奪回、泉頭城も北条の城となった。1590年豊臣秀吉の『小田原攻め』の際、北条は豊臣
勢を迎え討つ為、韮山城・山中城・下田城に兵を集結させたことで泉頭城は破棄、廃城にな
る。1615年頃、当地を徳川家康の隠居地とする御触れが出されたが、翌1616年死去
により計画は中止となる。現在は国指定天然記念物『柿田川湧水群』で知られる柿田川公園
、駐車場、店、国道、工場、住宅に変わり、一部の曲輪、堀切が残る。


【所感】現地の縄張図でおよその曲輪の配置は分かりますが、正確な縄張図を持っていない
と、遺構の判断が出来ないほど観光地化されています。泉頭城は柿田川・一ノ洞・二ノ洞・
三ノ洞と呼ばれる川や谷で仕切られた各エリアに曲輪が配地されています。ニノ洞⇔三ノ洞
間の本曲輪は広大で、大型駐車場や店が並んでいます。本曲輪南側の散策道が堀切、その南
に小曲輪→堀切→舟付曲輪と続きます。柿田川⇔ニノ洞間の広場、往時は3つ曲輪が並び、
貴船神社の場所も堀切によって独立した曲輪でした。一ノ洞⇔柿田川間の堂ノ口出丸は国道
1号線から肉眼で平坦地が確認出来ますが、中に入って撮ることは出来ません。三ノ洞以東
の住宅エリアにも、横堀で区切られた東曲輪・大六天曲輪・馬出曲輪(小廓)・南曲輪(大
宿)が存在していました。国道1号線以北のエリアは都市化が進み、どのような防御施設が
在ったかは不明です。




泉頭城の歴史・縄張り図の看板









湧水と柿田川





本曲輪・駐車場・売店



本曲輪(駐車場)南側の堀切



小曲輪を挟んだ南側の堀切





二の洞-柿田川間の横堀で三分割されていた曲輪



堀切で独立した曲輪だった貴船神社



大六天曲輪南西の堀切



馬出曲輪・畑地