陸奥 順法寺城
Junpohji castle

      順法寺城跡【青森県むつ市城ヶ沢】
        神明宮【青森県むつ市城ヶ沢字早崎21】
むつ市城ヶ崎地区集会所【青森県むつ市城ヶ沢字早崎15−3】

【立地】平城
【別称】鶴ヶ崎順法寺城・鶴崎山順法寺城・泉沢館

【歴史】鎌倉幕府は、1189年南部三郎光行、1202年工藤大和守を派遣し、下北半島
の統治を進めるも宇曾利の蝦夷たちの反感を買い、平定に至らず。1219年泉親衡なる人
物が宇曾利郷に入り、下北半島の統治を始める。泉親衡は安東太郎国親と改め、下北の支配
に成功、1222年頃、鎌倉幕府から蝦夷代官を任ぜられた。1249年国盛の子安東又太
郎盛親がむつ市城ヶ沢に順法寺城を築城。その後、安武→長親と続き、次の元親は家臣新井
八郎常安に殺害され、宇曾利郷の地頭を横領された。建武の新政(1333〜1336年)
の頃、南部師行が赴任され、弟政長と共に下北を平定。南部信政〔政長の子〕は1345年
順法寺城を修築し、1349年護良親王の遺児八幡丸〔後の良尹王〕を迎え入れた。尹義王
−義祥王−義邦王−義純王と続き、1448年義純王は家臣武田蔵人に謀殺された。昭和1
0年頃、旧海軍航空隊が設置されるまで、この地一帯に空堀や土塁の跡が見られ、およそ5
000uの城域であったとされる。現在は旧城ヶ崎小学校〔2011年廃校〕となり、遺構
は無い。

【所感】むつ市街から国道338号線を西進した海上自衛隊大湊航空基地の南西、神明宮・
城ヶ崎地区集会所の裏手に城趾碑と由緒の看板が立っています。どのエリアまで城域が及ん
だかは不明だが、目の前に陸奥湾が広がる場所です。




鶴崎山順法寺城趾碑