飛騨 帰雲城
Kaerikumo castle
荘白川デンカ生コン【岐阜県大野郡白川村保木脇204−1】
【立地】丘城
【歴史】1460年頃、内ヶ島上野介為氏が築き、雅氏−氏理と3代の居城となった。15
85年秀吉が飛騨へ派遣した金森長近軍は三木氏の本城松倉城を攻め落とし、飛騨を平定し
た。この時、氏理は佐々成政の要請で越中に出兵中であり、留守を護る家臣川尻備中守が長
近の先導役となってしまった為、帰郷後、直ぐに鍋山城に駐屯する金森長近に赴き、帰順を
申し出て許された。しかし、帰城3ヶ月後の1586年1月18日、中部から近畿にかけて
大地震〔天正大地震〕が起こり、帰雲山の崩落で庄川が塞き止められ、大洪水が内ヶ島氏と
その一族、城下集落を瞬く間に襲った。場所は定かではないが、地勢、堆積土砂などから、
石碑が在る辺りではないかと推測している。
【所感】白川郷から国道156号線を南下し、鳩谷ダム湖が終わる辺りの「荘白川デンカ生
コン」が在る場所に石碑が立っています。背後には地震の際に崩落した帰雲山〔標高162
2m〕が見えます。国道沿いに「帰雲城埋没地」の看板も在るので、直ぐに分かると思いま
す。東海北陸自動車道の白川郷−飛騨清見間が開通していなかったので、白川郷の帰りに立
ち寄ることが出来ました。
帰雲城趾の石碑と帰雲山〔石碑背後の崩落した山〕