美濃 加賀野城
Kagano castle
加賀野城跡碑・八幡神社【岐阜県大垣市加賀野町1丁目375−1】
【立地】平城
【歴史】築城年は定かではない。後藤氏の城とされ、後藤祐乗〔1440〜1512年〕の
誕生地と云う。初代祐乗は足利義政に仕える武士だったが、装剣金工に転じたと伝えられ、
江戸末期まで17代に亘って栄えた。足利→豊臣→徳川各家の御用を代々勤めた為、後藤家
の作品は家堀(いえぼり)と呼ばれ、在野の町影と区別された。作品は小柄(こづか)・笄(こう
がい)・目貫(めぬき)の三所物(みところもの)が主で、鍔(つば)は殆ど作られていない。祐乗以
降、桃山時代の5代徳乗までは名工が続いたが、品格と伝統を重んじた為、材質・意匠・彫
法などに制約があり、独創性・個性に欠け、次第に形式化した。江戸中期も意匠・彫法とも
に進歩は見られなかったが、分派は十四家に及び、江戸時代の装剣金工界に大きな影響を与
えた。徳乗以降、宗家は四郎兵衛を名乗り、江戸幕府の大判座頭人となる。徳乗の弟子庄三
郎光次は養子となって一族に列し、代々金座の頭人となる。戦国期、日比大三郎の名もある
。現在、八幡神社に城跡碑が立つが、城の場所、規模は不明。城跡よりも『加賀野八幡神社
井戸(自墳井)』として知られる場所である。
【所感】往時は北に中山道、南に美濃路が通る長閑な地であったと思われますが、現在は湧
水を汲む人でいっぱい。一口飲みたい!と言えないほど賑わっています。
加賀野城跡碑・八幡神社
八幡神社