美濃 加賀野井城
Kaganoi castle

加賀野井城跡【岐阜県羽島市下中町加賀野井】
  日興製薬【岐阜県羽島市上中町467−1】

【立地】平城

【県指定史跡】
【市指定史跡】

【歴史】築城年、築城者は定かではない。天正年間(1573〜1593年)頃、加賀野井
弥八郎秀望の城であったと云う。加賀野井氏の先祖は南北朝時代(1337〜1392年)
、南朝の仁瑜法親王に従って、羽島市桑原町大須の北野山真福寺に来た南朝系の武士とされ
る。秀望は織田信雄に仕えて8000石を領有したが、1584年「小牧、長久手の戦い」
の際、秀吉軍の攻撃で落城。秀望は尾張・美濃、或いは伊勢へ逃れて後、秀吉に召し出され
、加賀野井1万石を与えられた。1600年7月「関ヶ原の戦い」直前、秀望は三河国池鯉
鮒〔知立〕で水野忠重、堀尾吉晴と会飲中に口論となり、水野忠重を斬殺、堀尾吉晴を負傷
させ、秀望も両家の家臣に斬殺され、御家断絶、廃城となる。現在は田地の一角に城跡碑と
看板が立つのみで、遺構は無い。

【所感】城跡碑、看板の場所は日興製薬北側の道を450m東進(木曽川方面)した右手に
在り、グーグルが示す場所でOK。周辺の道は舗装されてますが、軽自動車幅の道でUター
ン出来る場所も無い為、一般乗用車は気を付けて運転して下さい方。木曽三川(揖斐川・長
良川・木曽川)が並ぶ当地一帯は、「小牧、長久手の戦い」「関ヶ原の戦い」に於いて両軍
の境目のエリアで、エピソードも多く、とても興味深い場所。遺構が無くても、周辺の城跡
を回ると歴史が繋がってきます。





加賀野井城跡碑と看板