三河 柿本城
Kakimoto castle
柿本城跡【愛知県新城市下吉田字柿本・字浦沢】
満光寺【愛知県新城市下吉田字田中140】
道の駅鳳来三河三石【愛知県新城市下吉田字田中106−1】
山吉田小学校【愛知県新城市下吉田字紺屋平101】
鳳来山吉田局【愛知県新城市下吉田字紺屋平96−5】
【立地】平山城
【別称】下吉田城・鈴木長門守重勝城
【市指定史跡】
【歴史】1568年、標高190m、比高70mの丘陵端〔城山〕に鈴木長門守重勝が築い
た城とされる。長門守重勝、三郎太夫重時父子は初め今川氏に属し、重時は遠江国井伊谷に
在って菅沼忠久、近藤康用と共に「井伊谷三人衆」と呼ばれたが、1568年三人衆は徳川
家康に従属し、三河と遠江を結ぶ要路で国境の抑えとして、下吉田に重勝が柿本城を築いた
と云う。1569年重時が遠江で討死し、その子石見守重好が継ぐ。1572年武田信玄の
攻撃を受けたが、満光寺の和尚、井代城の菅沼定仙の助力で和議が成立し、事無きを得た。
1600年「関ヶ原の戦い」の後、重好は5500石で水戸家の家老として仕え、弟兵左衛
門重吉は山吉田へ帰り、当地鈴木氏の祖となった。現在は山林となり、曲輪、堀が残る。
【所感】郵便局鳳来山吉田局、山吉田小学校横を走る国道257号線を南へ進み、川を渡っ
て左2本目の砂利の駐車場奥に登城口が在ります。直ぐ横のお宅の方に教えて頂きました。
ジグザグの山道を15分程登ると、左手に二の丸址の標柱が立つ広い平坦地が在ります。右
へ登ると本丸で、奥に「鈴木長門守重勝之城址」と書かれた石碑が立っています。適度に杉
が間引かれ、曲輪が分かり易くなっています。山を降り、道の駅方面へ進むと、左手に城跡
の歴史看板、道の駅裏手に満光寺が在ります。この寺は家康が武田信玄との戦いで敗走中に
宿泊し、朝方一番鶏が鳴いたら寺を出るつもりだったが、真夜中に鳴いて武田軍の追手から
逃れられたと云う話があります。天下統一後、家康はこの鶏にお礼として3石を与え、3代
家光からは寺領20石が与えられたと云います。
柿本城跡遠景〔写真:左〕柿本城址本丸入口の標柱・登城口〔写真:右〕
二の丸址の木碑〔写真:左〕本丸から見た二の丸全体〔写真:右〕
鈴木長門守重勝之城址の石碑・本丸〔写真:左〕本丸〔写真:右〕
柿本城趾の歴史看板〔写真:左〕城跡南麓の満光寺〔写真:右〕