琉球 垣花城
Kakinohana castle

   垣花城跡【沖縄県南城市玉城垣花】
カフェ ロッジ【沖縄県南城市玉城垣花8−1】

【立地】丘城
【別称】垣花グスク

【県指定史跡】垣花城跡

【歴史】標高145m、比高10mのの丘陵上に築かれた城で、現存する石積みの技法から
グスク時代初期(12世紀)に築かれたものと推測される。一説にはミントン按司の次男が
築いたと云われ、地元の古老の話では英祖王の長男大成〔1200〜1208年〕から派生
した中城屋宜按司が築いたと伝わる。麻氏世系図によると、大城グスク城主大城按司真武の
妻は垣花城主の娘もしくは妹であったと云い、後に大城按司真武と島添大里按司は長堂原で
戦うが決着がつかず、稲福遺跡群がある台地に戦場を移した。大城軍優勢で戦いは進むが、
大城軍の旗手が誤って自軍の旗を倒してしまい、グスクに居た按司の妻や若按司は敗北と思
い込んで城殿に火を放ち、臣下の中には西方の崖から身を投じる者もいた。勝利を確認した
大城按司がふと居城に目をやると、そこには炎に包まれた城があった。動揺の中、大里按司
の伏兵が襲い掛かり、応戦するも力尽き、大城按司は稲福の崖下で自害した。若按司は外間
の子と云われる家来に助けられ、母と共に実家である垣花に身を隠していたが、見つかるこ
とを恐れて真和志間切儀間村へ移った。小禄間切の人々が若按司の下に移って住むようにな
り、那覇港南側辺りに村落を形成し、那覇の垣花村落が出来上がった。後世那覇の垣花に対
して玉城村の字垣花を東垣花と呼ぶこともある。若按司は真宗のことで、儀間真常の祖先で
あると云われている。1961年県指定史跡。現在は曲輪、石垣が残る。

【所感】登城口は、Cafe Lodge正面の丁字路を90m北西に進んだ左手に在ります。城跡
碑の背後から登り、登り切った石垣の切れ目が二の郭の城門跡、目の前に二の郭の平坦地が
広がっています。亜熱帯植物の間を道成りに前方を進むと、主郭に上がる石段、登り切った
石垣の切れ目が主郭の城門跡です。主郭は分かり易い平坦地で、奥に拝所〔神名:アフイハ
ナテルツカサの御イベ〕が在ります。按司の墓は二の郭を右方へ歩くと在ります。亜熱帯の
植物や木々で郭や石垣が撮りにくい状態ですが、遺構保存を考えると致し方ないところです
。県道137号線沿いにも城跡碑や案内板もあって登城口まで案内してくれます。





垣花城跡碑・県道137号線沿い



垣花城跡入口



二の郭の城門跡





主郭の城門跡



主郭





按司の墓と石垣