三河 上和田城
Kamiwada castle
上和田城跡・壕跡【愛知県岡崎市上和田町南屋敷】
妙国寺【愛知県岡崎市宮地町寺北19】
長福寺【愛知県岡崎市竜泉寺町前田9】
【立地】平城
【歴史】大久保氏は下野国の豪族宇都宮氏の支族で、南北朝時代(1336〜1392年)宇都宮〔武
茂〕泰藤が三河国上和田へ来住したことに始まる。泰藤の孫泰道の代で宇津氏に改姓し、その子孫は松
平宗家に仕え、忠茂の代で宇津氏から大久保氏に改めたと思われる。その子忠俊〔1499〜1581
年〕・忠員〔1511〜1582年〕・忠行〔〜1617年〕らは家康に仕える。上和田城は大久保党
を構成する人々が、上和田村内にそれぞれ屋敷を持って居住し、その規模は羽根や宮地まで広がってい
た。大久保氏の菩提寺である妙国寺も宮地内にある。1563〜1564年「三河一向一揆」の際は忠
俊の屋敷を砦に改修して家康方で奮戦したと云う。1560年三河物語の著者で有名な大久保彦左衛門
忠教〔1560〜1639年〕は当地で生まれている。現在は住宅に変わり、大久保一族發跡地、和田
城用心壕跡の石碑が立ち、遺構は無い。
【所感】県道48号線和田橋西信号から東へ100m程進んだ左手の老人いこいの家に「大久保氏一族
發跡地」の石碑と説明看板が在ります。更に50m程進み、南へ曲がった「藤和シティコープ岡崎」前
のフェンスに和田城用心壕跡の石碑が立っています。大久保氏の墓は宮地町の妙国寺境内、竜泉寺町の
長福寺南200mの墓地に在ります。
大久保一族發跡地の石碑
和田城用心壕跡の石碑〔写真:左〕宇都宮泰藤公の墓/大久保家遠祖供養塔・妙国寺〔写真:右〕
大久保忠茂公の墓/大久保忠教公の墓/大久保忠員公の墓〔長福寺南〕
大久保忠俊公/久世広長公の墓〔長福寺南〕