三河 金堀奉行屋敷
Kanahori Bugyo residence

金堀奉行屋敷跡・津具小学校【愛知県北設楽郡設楽町津具字見出原3−1】
        津具中学校【愛知県北設楽郡設楽町津具字見出29】
          信玄坑【愛知県北設楽郡設楽町津具字金山】

【立地】平地
【別称】金堀奉行館

【村指定史跡】信玄坑

【歴史】1572年武田氏がこの地を領有した際、津具川で砂金が採れることを知り、金鉱
脈を追って幾つかの坑道が掘られた。この時、津具金山を支配する為、標高780mの平地
に中村泰庵、長谷川勘左衛門2人の奉行屋敷が築かれた。1582年武田氏滅亡後、織田信
長、徳川家康も採掘したと云われる。現在は住宅に変わり、津具川上流に「信玄坑」と呼ば
れる坑道が残る。

【所感】屋敷跡とされる津具小学校、津具中学校は県道80号線、津具川に挟まれた地に在
ります。金坑は幾つか在ったようですが、信玄坑は当地から津具川〔古町川〕を1500m
程上流へ行った地に在り、面ノ木峠へ向かう県道80号線沿いに標柱が在ります。この標柱
の場所を曲がり、突き当たりを右へ曲がった小屋の前に信玄坑入口が在ります。壊れかけた
丸太段を90m程登ると、谷の最高部に柵に囲まれた坑道が在ります。



 

金堀奉行屋敷跡辺り・津具小学校〔写真:左〕信玄坑〔写真:右〕


 

信玄坑入口の標柱〔写真:左〕県道80号線沿い「信玄坑」の標柱〔写真:右〕