美濃 金山城
Kanayama castle
金山城跡【岐阜県可児市兼山】
蘭丸ふる里の森【岐阜県可児市兼山】
兼山小学校【岐阜県可児市兼山1444−1】
【立地】山城
【別称】鳥ヶ峰城・鳥峰城・兼山城
【県指定史跡】
【歴史】1537年斉藤道三の命を受け、斉藤大納言正義が古城山〔標高273m〕に築いた城とされ
る。1548年正義は久々利城主土岐三河守に討たれ、一時、廃城となる。1565年信長の命により
、森三左衛門尉可成が入る。1570年「姉川の戦い」で、可成は自ら築いた宇佐山城で戦死。同じく
長男可隆も、秀吉がしんがり役を務めた「敦賀・手筒山の戦い」で戦死。三男蘭丸長定・四男坊丸長隆
・五男力丸長氏は、1582年「本能寺の変」で信長と共に明智光秀に討たれる。2代城主森長可は信
長に仕え、「伊勢長島一向一揆」「武田氏征伐」で戦功を挙げたが、1584年「長久手の戦い」で秀
吉軍に参戦し、戦死。3代忠政は秀吉に仕え、1600年家康の命により信州海津城へ移封となる。金
山城は、犬山城とともに石川光吉の領有となったが、犬山城改修の際、資材として取り壊され廃城とな
る。現在は曲輪、石垣、土塁、井戸跡、竪堀などが残る。
【所感】兼山小学校北側の校門から東へ200m程登って行くと、左手に「蘭丸ふる里の森・蘭丸広場
」の入口、更に450m登った三叉路を左折して350m程進むと、最終地点が駐車場です。トイレを
備えた15台程止められる駐車場ですが、ココが出丸で、南端に石垣があります。トイレから来た道を
50m程戻ると、左手に本丸へ向かう丸太段の入口が在ります。登った最初の曲輪は三の丸。看板が立
つ三の丸門は出丸とを繋ぐ道に構えられ、北端の水の手は枡形虎口で、北麓の米蔵に繋がる道〔現在は
通れません〕の始まりです。三の丸の北側には一段高くなって西腰曲輪、更に奥へ進むと、北方物見台
〔小曲輪が上下に2つ〕。三の丸の東隣りには一段高くなって二の丸。南端には物見櫓跡の看板が立っ
ています。二の丸の北端には南腰曲輪へ登る大手枡形虎口が在ります。虎口を右へ進むと、正面に本丸
西南隅櫓の石垣、その横を通って登ると、烏龍神社が在る本丸です。歴史看板、城址碑などが立ち、北
へ進むと、眼下に木曽川と兼山の町がよく見える展望台のようになっています。本丸の北端には低い石
積、東端には高い石垣、南東端には三方を石積で囲われた枡形虎口が在ります。虎口を出て左へ折れる
と、東腰曲輪。本丸東端の高い石垣が仕切りになりますが、この石垣の横に井戸跡が在るそうです。東
腰曲輪の東端に搦手門跡、一段下った場所に東部曲輪、更に丸太段を下りますが、この道が杉ヶ洞搦手
道になります。東腰曲輪の南東方向に左近屋敷と呼ばれる細長い曲輪が在るそうですが、この曲輪へ繋
がる道が探せなかったので、断念しました。私が思う金山城跡の見所は枡形虎口。深さがあって石が組
まれているので、形が分かり易い。山の中でこのようなものが見られるのはこの辺りではありません。
城内の至る所に名称看板があって、分かり易く、歩き易くなっていますが、縄張り図を片手に回ってい
ると、ワクワクしてくる城跡です。
出丸南端の石垣
出丸・駐車場〔写真:左〕三の丸南東端の三の丸門跡〔写真:右〕
三の丸北端の水の手〔写真:左〕三の丸〔写真:右〕
北方物見台〔写真:左〕西腰曲輪〔写真:右〕
二の丸西端の石垣〔写真:左〕二の丸〔写真:右〕
大手枡形虎口〔写真:左〕南腰曲輪〔写真:右〕
本丸西南隅櫓の石垣〔写真:左〕金山城趾の石碑・本丸〔写真:右〕
本丸
烏龍神社・本丸
本丸北端の石垣〔写真:左〕本丸東端の石垣〔写真:右〕
本丸南東端の枡形虎口〔写真:左〕本丸から見た木曽川と兼山の町〔写真:右〕
東腰曲輪東端の搦手門跡〔写真:左〕東部曲輪〔写真:右〕
杉ヶ洞搦手道〔写真:左〕城郭東端の大堀切〔写真:右〕
伝 森蘭丸産湯の井戸・蘭丸広場〔写真:左〕城跡北麓の伝 米蔵〔写真:右〕