越前 金ケ崎城
Kanegasaki castle

金ケ崎城跡【福井県敦賀市泉・金ケ崎町】
  金前寺【福井県敦賀市金ヶ崎町1−4】
 愛宕神社【福井県敦賀市金ヶ崎町2−1】
 金ケ崎宮【福井県敦賀市金ケ崎町1−1】
 気比神宮【福井県敦賀市曙町11−68】
気比の松原【福井県敦賀市松島町】

【立地】山城
【別称】敦賀城

【国指定史跡】金ケ崎城跡

【歴史】築城年は定かではない。南北朝時代〔1336〜1392年〕以前に築かれた、気比神社の大
宮司気比氏治の居城と伝わる。1336年10月後醍醐天皇の命を受けた新田義貞は恒良親王・尊良親
王を奉じて、足利勢に追われながら金ヶ崎城に籠った。援軍を求めるも応ずるものは無く、1337年
3月兵糧が尽きたところで足利勢の総攻撃を受けて落城。尊良親王、新田義顕ら300余名が戦死した
。1338年足利尊氏は征夷大将軍に任ぜられ、室町幕府を開府する。1570年4月信長は越前朝倉
討伐の軍を起こし、徳川家康・木下藤吉郎らは敦賀へ軍を進め、朝倉方の天筒山城・金ケ崎城を攻略。
この時、お市の方の嫁ぎ先近江浅井長政の寝返りを知らされ、朝倉・浅井氏の挟み撃ちを察した信長は
、秀吉にしんがり役を命じ、無事帰京を果たした。現在は金ヶ崎(手筒山)公園と称され、曲輪、堀切
が残る。

【所感】敦賀港貨物線敦賀駅横の金前寺前に駐車場・トイレが在ります。国指定史跡ということで登城
道は整備され、愛宕神社、金ケ崎宮を経て、15分程で本丸〔月見御殿〕に着きます。途中、尊良親王
墓所、金ケ崎古戦場碑もあります。月見御殿跡から手筒山方面に歩いて行くと、三の木戸・二の木戸・
一の木戸と呼ばれる尾根を切った堀切遺構を見ることが出来ます。金ヶ崎城跡と手筒山城跡の境界がは
っきりしませんが、一の木戸で区別されているようです。観光客も多く、月見御殿跡からは敦賀湾、敦
賀半島、日本海が一望でき、絶壁上に在る展望台です。気比神宮・気比の松原と並ぶ、観光地です。



 

金ケ崎城跡の看板と金ヶ崎公園の案内図〔写真:左〕金ヶ崎城阯の石碑・絹掛神社横〔写真:右〕

 

尊良親王・恒良親王が祭神の金崎宮〔写真:左〕新田義顕以下321名の戦死者が祭神の絹掛神社〔写真:右〕

 

尊良親王御墓所見込地の石碑と看板〔写真:左〕尊良親王御墓所見込地の北側に在る堀切〔写真:右〕

 

金崎古戦場の石碑・本丸〔写真:左〕月見御殿の看板・本丸〔写真:右〕

 

月見御殿阯の石碑・本丸〔写真:左〕月見御殿跡からの景色〔写真:右〕

 

本丸〔写真:左〕竪穴式石室を持つ古墳・本丸〔写真:右〕

 

三の木戸跡・水の手〔写真:左〕焼米石出土跡の看板と石碑〔写真:右〕



二の木戸跡の堀切

 

二の木戸跡の看板〔写真:左〕一の木戸跡〔写真:右〕