尾張 苅安賀城
Kariyasuka castle
苅安賀城跡・苅安賀自動車学校【愛知県一宮市大和町苅安賀1580】
【立地】平城
【別称】浅井田宮丸城・刈安賀城
【歴史】1561年浅井新八郎政貞〔信広・政澄・賢政〕が築いたと云う。信長に早くから
仕え、赤母衣衆の一人として活躍した。1568年「近江箕輪城攻め」、1570年「比叡
山攻め」、1571〜1574年「長島攻め」に参戦している。1581年政貞没後、その
子長時〔田宮丸〕が継ぎ、織田信忠に仕えたが、1582年「本能寺の変」の後、織田信雄
に仕えた。1584年秀吉との内通が疑われ、長島城で津川義冬、岡田重孝と共に殺害され
た。このことが「小牧、長久手の戦い」のきっかけとなり、家康+信雄軍の前線基地となる
。1590年「小田原城攻め」の際、尾張の警備として小早川隆景の手兵が居城したと云う
。現在は苅安賀自動車学校に変わり、石碑が立つ。
【所感】国道155号線、県道14号線が交差する苅安賀信号交差点を西へ曲がり、次の信
号を南へ入ると「苅安賀自動車学校」です。城跡の石碑は自動車学校敷地南西部の電柱横に
在ります。道沿いに在るので、車でも分かると思います。
苅安賀城址の石碑・苅安賀自動車学校