美濃 笠松陣屋
Kasamatsu Jinya
笠松陣屋跡【岐阜県羽島郡笠松町県町】
笠松町役場【岐阜県羽島郡笠松町司町】
福證寺【岐阜県羽島郡笠松町司町44】
八幡神社【岐阜県羽島郡笠松町八幡町117】
【立地】平地
【別称】天朝御用所・笠松県庁
【歴史】1662年美濃郡代名取半左衛門長知が「笠町」→「笠松村」に改め、陣屋を構え
た。笠松陣屋は幕府直轄の天領陣屋であり、美濃郡代の陣屋として美濃国7万余石、後に伊
勢国も含めて10万余石を支配した。美濃郡代は、1601年大久保長安が岐阜に陣屋を置
いたことに始まり、可児郡姫郷→大野郡三輪〔揖斐陣屋〕→可児郡徳野〔徳野陣屋〕へと移
り、1662年笠松に落ち着く。名取長知の後、杉田直昌→甲斐正之→岩手信吉→辻守参→
辻守雄→井沢為永→滝川貞寧→青木安清→千種鉄十郎→辻富守→鈴木正勝→辻守貞→三河口
太忠→滝川惟一→松下堅徳→野田斧吉→柴田善之丞→岩田鍬三郎→屋代増之助が美濃郡代を
勤め、中でも辻守参・井沢為永は治水に功のあった人物である。1868年1月、笠松陣屋
は朝廷の命を受けて竹沢寛三郎が天朝御用所と改め、4月笠松裁判所となった。同月、笠松
県の県庁となり、県知事に長谷部恕連が任命された。1871年笠松は岐阜県庁誕生の地と
なり、岐阜町に移されるまで県政の中心地であった。現在は住宅となり、石碑のみが残る。
【所感】現地の「笠松陣屋付近の図」を見ると、県町の中央部辺りに「役所」が在り、「堤
方屋敷」が笠松町役場になっています。木曽川の高い堤防に護られた低い土地で、規則性の
無いの細道が走る昔ながらのエリアです。美濃郡代の居住地であったことから、その流れで
最初の岐阜県庁所在地なりました。
美濃郡代笠松陣屋跡・笠松県庁跡