三河 形原陣屋
Katahara Jinya

形原陣屋跡A【愛知県蒲郡市形原町御獄】

形原陣屋跡B【愛知県蒲郡市形原町西御屋敷】
形原陣屋跡C【愛知県蒲郡市形原町東古城】
  御嶽神社【愛知県蒲郡市形原町御獄44】

【立地】丘地

【形原松平家】与副〔与嗣〕― 貞副 ― 親忠 ― 家広 ― 家忠 ― 家信 ― 康信 ― 典信 ― 信利 =
       信庸 ― 信岑 = 信直 ― 信道 ― 信彰 = 信志 ― 信豪 = 信義 = 信正

【形原藩】1618〜1619年(形原陣屋C)

【歴史】『形原陣屋A』形原役所とも云う。1718〜1868年、巨勢至信が5000石で構えた陣
屋である。その後、至忠−至親−利和−利直−金峯−某−利光と続いた。代官は小林武右衛門・小林鶴
之進・吉見郡助らが歴任した。場所は御嶽神社西側一帯で、現在は住宅地になり、遺構は無い。『形原
陣屋B』1618〜1673年、長沢松平家7代政忠の甥松平庄右衛門清直が5000石で構えた陣屋
で、3代続いたと云う。現在は住宅に変わり、遺構は無い。『形原陣屋C』1618年、形原松平家6
代家信が1万石で構えた陣屋である。1590年家康の関東移封に伴い、上総国五井へ移り、5000
石を領したが、1600年「関ヶ原の戦い」で戦功を得て、本領形原へ戻った。1618年安房国長狹
郡内で5000石の加増を受け、1万石で形原藩を立藩。1619年摂津国高槻2万石、1635年下
総国佐倉4万石を領し、翌1636年に没する。陣屋は形原城跡地に築かれ、現在は公園、畑地、宅地
、神社に変わり、古城稲荷神社に曲輪、歴史看板、石碑が立つ。


【所感】『形原陣屋A』は、県道322号線御嶽信号を東へ曲がり、線路を渡って直ぐ左の形原公民館
、小学校間が御嶽神社の参道になります。御嶽神社本殿西側の台形の住宅区画が陣屋跡になります。『
形原陣屋B』は、県道322号線東中畑信号を東へ曲がり、線路を渡って左2本目が稲荷神社の参道に
なります。西御屋敷の北東角〔東御屋敷の北西角〕で、北側に地蔵川が流れる小高い丘地に公園と共に
在ります。松平清直ゆかりの神社です。『形原陣屋C』は形原城と同地で、県道321号線形原港町信
号を南へ曲がって左手に見える小山が古城稲荷神社です。



 

御嶽神社・形原陣屋A跡の東に隣接〔写真:右〕形原城跡の石碑・形原陣屋C跡・古城稲荷神社〔写真:右〕

 

御屋敷稲荷神社・陣屋B跡の北東角〔写真:左〕御屋敷稲荷神社の由緒(歴史)看板〔写真:右〕