遠江 片瀬城
Katase castle
片瀬城跡【静岡県周智郡森町一宮】
八面神社【静岡県周智郡森町一宮1301−1】
【立地】丘城
【別称】一宮城
【歴史】築城年、築城者は定かではない。標高94m、比高62mの南北に長い丘陵上に築
かれ、1994年から始まったゴルフ場・新東名高速道路の建設工事で発見された城である
。片瀬城が在る一宮荘は、武藤氏の領域で早くから今川氏に属していた。1568年12月
武田信玄の駿河侵攻の際は既に武田氏に属しており、遠江侵攻の徳川家康も迫っていた。武
藤氏と武田軍は真田山城および周辺に10以上の山城を築いて徳川軍に対抗。1573年4
月信玄が没すると徳川軍が周辺の城郭を奪取、これに対抗して武田勢も出陣。9月袋井市堀
越・山梨から森辺りで戦いとなり、11月武田勝頼本隊が出馬している。片瀬城はこの時期
の築城ではないかとされている。現在は山林となり、曲輪、堀切が残る。
【所感】片瀬城跡を実際に訪ねると、ゴルフ場・新東名高速道路の建設で縄張図のどの部分
が消失したかよく分かります。残されているのは本曲輪〔北1/4消滅〕−堀切−二の曲輪
−堀切〔堀切は無く土橋のみ〕−三の曲輪〔南3/4消滅〕、高速道路の南に堀切が1つ残
されています。先ず本曲輪方面の登城口は丘陵の東側、新東名高速道路の高架下〔駐車も高
架下〕のコンクリート階段で、上がったら高速道路方面に歩きます。高速道路フェンス脇の
長いコンクリート階段を上がりますが、陥没箇所があるので、足場に気をつけてかわします
。その先は生い茂った笹が階段を塞ぐように倒れ込んでいるので、潜りながらクリアして行
きます〔鎌があれば楽なんですが…〕。階段を登り切った場所が三の曲輪〔北1/4〕です
。左下に山道が通り、その先に長い土橋が見えます。縄張図には土橋に堀切が描かれていま
すが、埋もれてしまったのか?見当たりません。土橋を渡った先が二の曲輪。南側に一段低
くなって腰曲輪が奥まで続いています。二の曲輪の中央に道が掘られ、大堀切に繋がってい
ます。堀切の上が本曲輪で、西端にスロープ虎口を持つ平場があります。本曲輪の東は平面
度はありますが、北は平面度が低く、有刺鉄線の下にゴルフ場が見えます。本曲輪に西側に
曲輪が続き、井戸跡らしき穴、その横にも小さな穴があります。厄介な笹の階段を降りて、
今度は片瀬城跡南端の堀切を確認するために八面神社へ移動します。駐車は神社南側の空き
地に止めました。神社左手の舗装路を歩き、墓地へ上り、奥の細道を進んだ竹藪の入口が登
城口です。倒竹をかわしながら、一段上がって、開けた山林内を北へどんどん奥へ歩いて行
くと、土橋+堀切に着きます。その奥が曲輪になりますが、フェンスが設置され、北2/3
が失われています。訪城の醍醐味は、縄張図を見ながら連続する曲輪や堀切を見る〔撮る〕
ところにあり、消滅・分断されてしまうと気持ちが半減してしまいます。


登城口

三の曲輪

三の曲輪−二の曲輪間の土橋

二の曲輪


二の曲輪南側の広い腰曲輪

本曲輪−二の曲輪間の大堀切

本曲輪の虎口

本曲輪の平場



本曲輪


穴・本曲輪西側



城郭南端の堀切へ行く入口

城郭南端の堀切

五の曲輪
