遠江 勝間田城
Katsumata castle

勝間田城跡【静岡県牧之原市勝田2160−1】

【立地】山城

【県指定史跡】

【歴史】応永年間(1393〜1429年)、標高131m、比高100mの山頂付近に築
かれた城で、勝間田定長の築城とされる。勝間田氏はこの地を本拠とする土豪で、勝間田平
三成長は鎌倉幕府の御家人となる。1331年「元弘の乱」の際、河内の赤坂城、千早城の
攻防では一族が攻守両陣営に分かれて参戦している。室町時代に入り、1399年「応永の
乱」、1439年「永亨の乱」などで将軍直属軍として活躍した。1467年「応仁の乱」
が始まると今川氏と対立し、1476年今川義忠の猛攻により落城となり、勝間田一族は四
散した。一説には御殿場辺りに落ち延びたと云う。現在は曲輪、土塁、堀切が残る。

【所感】県道73号線、国道233号線が交差する空港入口東信号から県道233号線を南
下します。東海度新幹線を潜ってから1キロ程進んだ勝間田川に架かる勝田橋手前の右折し
ます。70m程で左へカーブし、300m程進むと、右手にトイレ付きの駐車場が在ります
。ここで縄張り図をしっかり見て歩いてS字路を400m程上ると、出曲輪→城の入口に到
着です。三ノ曲輪→二ノ曲輪→北尾根曲輪→本曲輪→南曲輪の順に並び、本曲輪から伸びる
東尾根の曲輪の先に五重堀切が在り、お薦めの遺構です。他にも本曲輪の西、南曲輪の西、
二の曲輪の南、三の曲輪の北西と東側にも堀切が確認出来ます。





本曲輪



本曲輪の土塁



本曲輪西側の掘切



本曲輪西側の竪掘



本曲輪から見た東尾根曲輪





東尾根曲輪の東に連なる5重堀切



北尾根曲輪T



北尾根曲輪U



北尾根曲輪U−二の曲輪間の堀切



南曲輪



南曲輪南西側の堀切







二の曲輪





建物跡・二の曲輪



三の曲輪東側の2重堀切





三の曲輪の土塁





三の曲輪



堀立柱建物跡・三の曲輪



三の曲輪西側の堀切



勝間田城跡の石碑・城跡入口




勝間田城跡登城口