遠江 勝坂城
Katsusaka castle

勝坂城跡【静岡県浜松市天竜区春野町豊岡】
樽山城跡【静岡県浜松市天竜区春野町田河内】

【立地】山城
【別称】勝坂砦・猪ヶ鼻砦

【歴史】入地山〔890m〕から南東に伸びる尾根の先端に位置し、オメガカーブを描く気
田川に囲まれた標高342m、比高50mの山城である。徳川家康は犬居城攻撃に先立ち、
1575年武田方の『二俣城』『光明城』を落とし、天野勢の南への侵出口を封鎖。続いて
川根方面への出口に当たる天野助兵衛の『樽山城』を井川の安倍大蔵定吉父子に占拠させた
後、1576年7月犬居城攻めを再開した。徳川軍によって完全に包囲された天野宮内右衛
門藤秀は犬居城を捨て、最深地の勝坂城に立て籠もった。天野軍は勝坂入口の『塩見坂』で
徳川勢を防いだが、大久保忠世が『石ヶ嶺』から攻撃に転じたため、藤秀は『塩見坂』『勝
坂』を捨て、『鹿鼻砦』〔入地沢辺りか〕に籠った。家康は険阻であった為、攻撃をあきら
めて浜松へ帰還。天野氏は暫く山中に留まって旧地回復を図ったらしいが、1580年頃、
遠州を離れて甲斐へ移ったらしい。犬居一帯は完全に徳川の支配下となり、1581年まで
大久保氏の管理下に置かれた。現在は山林、遺構は無い。

【所感】新東名高速道路浜北インターから国道362号線→県道389号線と北上するルー
トで、国道152号線×国道362号線の分岐点『山東信号』←25キロ→『県道389号
線の始点』←9キロ→『勝坂城砦の看板』になります。グーグルにも『勝坂城跡』『勝坂城
砦案内板』が載っています。勝坂城跡は岩盤上に築かれ、『勝坂城砦』の看板が立つ辺りも
、県道建設で岩の尾根を切ったよう〔切通し〕になっています。登城は危険で登ることが出
来ず、城跡と反対側に階段が有りますが、豊岡ダム放流時に鳴らされるサイレンに辿り着く
のみです。遺構は確認出来ませんが、天野氏の歴史に於いては重要な場所です。




小楜橋から見た勝坂城跡





小楜橋から見た気田川





勝坂城砦の看板



小楜橋