三河 川手城
Kawate castle
川手城跡【愛知県豊田市川手町シロ山】
【立地】丘城
【市指定史跡】
【歴史】標高390m、比高60mの尾根端に築かれた山田氏の城とされる。山田氏の祖は
、1221年「承久の乱」で宮方に属した尾張国山田郡の山田重忠である。1331〜13
36年「元弘、建武の乱」で故郷を追われ、1335年山田頼範が同族の足助氏を頼ってこ
の地に移住したことに始まる。以後、足助氏、菜倉氏、永江氏と共に南朝方として戦った。
頼範の後、重忠−重胤と続いたが、1398年重胤は上州柏坂で討死。姉の子貞幹が継ぎ、
貞俊−貞詮−貞政−貞義−義堯−景隆を経て、良行が井伊直政に仕えて彦根城へ移り、廃城
になる。現在は山林、畑地、廃屋となり、曲輪、堀切、櫓台〔土塁〕が残る。
【所感】矢作川と名倉川の合流点辺りで、国道257号線から矢作川の南側を走る県道35
6号線を西へ進みます。200m程走ると、左手に坂道が在ります。ここが登城口で、お墓
、左カーブを経て、道なりに進むと、城跡の廃屋と畑地に着きます。小道は鉄塔へ続いてい
ますが、この道ではなく、畑を回り込んでジグザグ道を上ると、主郭となる平地と説明看板
が在ります。看板横の道をそのまま奥へ進むと、土塁が在り、看板の裏手の道を下ると、土
塁裏の堀切に着きます。堀切は高さ4m程の綺麗なV字で、川手城跡で1番の見どころと思
います。矢作川南岸の美濃国−三河国国境に在る城跡です。
登城口〔写真:左〕曲輪の廃屋と畑地〔写真:右〕
本丸跡に在る川手城址の説明看板〔写真:左〕本丸奥の堀切〔写真:右〕