尾張 萱津古戦場
Kayazu historic battleground

【愛知県あま市上萱津字八剱】

【立地】平地

【歴史】清洲の織田信友×那古野の織田信長の跡目相続争いである。1551年信秀が没す
ると、1552年8月15日清洲織田家の坂井大膳・河尻与一・織田三位らが謀議して松葉
城の織田伊賀守、深田城の織田右衛門尉を人質に両城を占領した。16日この知らせに信長
は那古野城を出立し、稲葉地の川岸まで出陣した。守山の織田信光と合流し、一手に海津口
へ攻め寄せ、清洲織田家も海津村へ進出した。辰の刻、信長が攻めかかり、数時間火花を散
らして戦った。遂に清洲勢は敗れ、松葉・深田両城も信長の攻撃で奪回した。現在は萱津古
戦場跡の石碑が立つ。

【所感】五条川に架かる県道126号線法界門橋信号を南へ曲がり、100m程進んだ三叉
路を右へ萱津用水に沿って下って行きます。初めての交差点を右へ曲がり、次の辻を越え、
右手の“甚目寺町第6分団(上萱津)”と書かれた赤い建物横に石碑が在ります。建物に隠
れて道路から入った場所に在るので、分かりづらいかも。




萱津古戦場跡の石碑