三河 黍生城
Kibyu castle
黍生城跡【愛知県豊田市井ノ口町西キビウ】
【立地】山城
【歴史】治承年間(1176〜1180年)頃、黍生山〔標高375m、比高240m〕山頂に築かれ
た足助重長の居城とされる。重長は尾張国山田荘から来住して足助氏を称し、源(鎮西八郎)為朝の娘
を娶り、1180年源行家に加担して美濃国墨俣で平重衡と戦い、長兄である尾張の山田重満とともに
戦死したと云う。その後、足助氏は飯盛山城〔標高254m〕を築いて移り、重秀−重朝−重方−頼方
−貞親−重範−重政の居城となった。現在は曲輪、堀切、土塁などが残る。「足助七屋敷の一」
【所感】国道153号線追分信号交差点を北へ入り、直ぐ右手に黍生山登山道入口の看板があります。
そのから車で最初の広場まで上り、外れに登城道があります。道標は全て黍生山道の表示で書かれてい
ますので、看板に従って上ったり、尾根歩きを切り返し、30分強で山頂の曲輪に着きます。大変見晴
らしが良く、360°遠くの山々が見えます。黍生山東隣りに城山〔標高353m〕と呼ばれる東黍生
城伝承地があり、初代足助氏の本城はこちらではないかと云う説もあります。
黍生城跡・東黍生城跡
黍生山登山口〔写真:左〕黍生山頂口〔写真:右〕
主郭