美濃 切通陣屋
Kiridoshi Jinya

     切通陣屋跡【岐阜県岐阜市切通6丁目・7丁目】
岐阜信用金庫切通支店【岐阜県岐阜市切通6丁目15−25】

【立地】平地

【市指定史跡】


【歴史】1755年美濃国加納藩主安藤信尹は不行跡によって隠居処分を受け、5万石に減
封となった加納藩を子の安藤信成〔信明〕が継ぐが、翌1756年陸奥国磐城平藩5万石へ
転封となる。その後信成は、1781年寺社奉行、1784年若年寄、1793年老中と駆
け上がり、松平定信辞任後の幕閣に列した。1803年11月美濃国〔厚見・方県・葉栗・
本巣、四郡の一部〕内の1万8000石を加増され、再び美濃と関係を持つようになった。
磐城平藩は美濃支配のため、切通村に陣屋を設け、郡奉行2人・代官4人・与力5人・同心
5人など22人が詰めていた。信成の後、信馨−信義−信由−信正−信民−信勇と磐城藩主
安藤氏7代の支配下にあった。現在は住宅、線路となり、近くに石碑が立つ。


【所感】現地に説明用として掲示されている陣屋の図を見ると、石碑の北側一帯が陣屋跡の
ようで、北端は名鉄各務原線の線路に掛かっています。道や区画が陣屋の形になっていれば
、位置、広さが分かるのですが、現在はそのようになっていません。





切通陣屋跡之碑



切通観音



「切通の由来」の看板・岐阜信用金庫切通支店