美濃 北方城
Kitagata castle

北方城跡【岐阜県本巣郡北方町北方】
神明神社【岐阜県本巣郡北方町北方263】


【立地】平城

【県指定重要文化財】北方城跡・安東伊賀守守就戦死の地


【歴史】築城年は定かではない。池田郡より移住した伊賀太郎左衛門光就の築城とされる。
定就−定重を経て、安東〔伊賀・安藤〕伊賀守守就は美濃三人衆〔安東守就・稲葉一鉄・氏
家卜全〕の一人で、斎藤氏没後に織田信長に仕え、1570年「姉川の戦い」・1571年
「長島一向一揆」で戦功を挙げた。1580年河渡城主であった嫡男尚就が甲斐武田氏との
内通を疑われ、安東守就・尚就父子は信長より武儀郡谷口村〔関市〕に蟄居を命ぜられ、稲
葉一鉄の所領となる。1582年「本能寺の変」で信長没後、安東氏×稲葉氏の争い「北方
合戦」となる。安東守就・尚就父子は一族旧臣を集めて北方城に拠り、稲葉一鉄・貞通父子
は宮田に布陣した。北方は尚就の弟安東七郎・尚就の子忠四郎・家老松田雁助・岡八兵衛ほ
か五百余人が三段に備えて一鉄軍をよく防ぎ、両軍で二百余人の戦死者がでたと云う。守就
は千代母淵で村瀬大隅の弟古田五郎兵衛に討たれ、尚就は加納悦右衛門に討たれ、残兵らは
落ちて行った。現在は住宅地となり、城跡の中心部に城阯碑・看板が建ち、移築門が残る。

【所感】北方城跡の看板や石碑は神明神社の北に位置し、この辺りが城跡の中心部になりま
す。天王川も含めた用水路の形がほぼ城跡の形となっていることも、現地の看板から確認出
来ます。江戸期に入ると、当地は北方陣屋の敷地になりますが、こちらは大井神社から南へ
続く道沿いの看板に詳しく記されていますので、セットで訪ねられると良いかと思います。





北方城跡の看板と石碑【県指定重要文化財】





神明神社・北方城跡





史蹟 安東守就戦死地【県指定重要文化財】