三河 木和田古屋敷
Kiwada old residence
木和田古屋敷跡【愛知県新城市作手木和田字オオカイツ】
菅守小学校【愛知県新城市作手菅沼字マンゼ18】
白鳥神社【愛知県新城市作手木和田字前34】
【立地】山麓
【別称】木和田屋敷・木和田古城・木和田村古城
【歴史】元亀・天正年間(1570〜1592年)頃、標高470m、比高300mの山腹
に築かれた屋敷である。城主は後に菅沼城主となった涯田三郎左衛門、奥平氏の家老桜井与
右衛門とされる。1560年「桶狭間の戦い」で今川義元が討たれて後、1561年今川方
の奥平貞勝を攻める為、松平元康勢の簗瀬氏・原田氏が木和田屋敷を攻めている。現在は光
林寺跡下段に曲輪が残る。
【所感】国道301号線田原信号から県道35号線を北上します。左手の菅守小学校を過ぎ
ると、菅沼川に架かる橋〔木和田口バス停〕が在りますが、橋を渡らずに右方へ進み、直ぐ
に右折します。山道を上がって下ると、白鳥神社が在る辻に出ます。ココを左折し、200
m程進んだカーブの右上に光林寺跡とその下段に曲輪跡が在ります。私はこの集落の最北の
お宅前を通って廃寺へ行きましたが、必ず周辺の方に声を掛けてから訪ねて下さい。
光林寺跡の石垣