三河 小針城
Kobari castle

 小針城跡【愛知県岡崎市小針町城跡】
  円慶寺【愛知県岡崎市小針町城跡76】
小針神明社【愛知県岡崎市小針町2丁目】
  願照寺【愛知県岡崎市舳越町本郷32】

【立地】平城
【別称】阿部城・小針村古城

【歴史】室町時代中期、阿部山城守忠正の居城とされる。小針には三木松平家信孝の与力上田七郎兵衛
元成の屋敷も在ったと云う。1470年頃、松平宗家3代信光が安祥城を攻略して4代親忠に与えた際
、忠正の子正重が家臣となる。松平広忠の代、忠正の子正宣は譜代衆、その子正勝は松平竹千代付きの
小姓衆となり、東海方面の経略に軍功を挙げた。1590年家康関東移封の際、武蔵国鳩ヶ谷5000
石を与えられる。1600年正勝没後、正次が継ぎ、「関ヶ原の戦い」の戦功で相模国内5000石与
えられ、父の遺領5000石と併せて1万石で鳩ヶ谷藩を立藩した。その後、大番頭、伏見城番などを
歴任し、1614〜1615年「大坂の陣」の戦功で3万石に加増され、1617年上総国大多喜藩主
となった。現在は住宅に変わり、一角に石碑が立つ。

【所感】県道56号線小針信号を南へ曲がり、500m程進むと右手に円慶寺が在ります。円慶寺の南
東150m程〔字城跡〕に石碑が立っています。円慶寺周辺には城跡・池城・屋下・本丸・馬々西など
の字名が在りますが、2つ在ったと云う小針城の正確な場所、規模は分かりません。嘗て、神明社裏手
から東方200mまで空堀が残っていたそうです。現在は区画整備で消失しているようですが、神社の
裏へ回ると、短く堀の片側が残っているように感じます。どうなんでしょうか?岡崎市舳越町の願照寺
前に阿部忠正の墓が在ります。




「阿部城の跡」の石碑・小針町城跡の南東端


 

横堀の一部か・小針神明社北端〔写真:左〕阿部忠正と一族の墓・願照寺前〔写真:右〕