美濃 駒野城
Komano castle

駒野城跡・城山小学校【岐阜県海津市南濃町駒野1317−8】

【立地】丘城

【歴史】正暦年間(990〜995年)、船岡山〔標高36m、比高30m〕に瀬戸道明寺
が初めて城を築いたと伝わる。文治・建久年間(1185〜1199年)美濃国守護土岐氏
が城を築いて守将を置き、承久年間(1219〜1222年)伊藤裕朝が守将となり、天文
年間(1532〜1555年)12代裕長まで続いて滅亡した。『高木系譜』によれば文明
年間(1469〜1487年)、高木源大夫貞成が築いたと云う。高木氏は斎藤道三(14
94?〜1556年)に仕えるが、1554年貞政が没し、貞次も病没した。1564年頃
、高木彦左衛門尉貞久は信長に属し、今尾城を与えられた時、嫡男貞家は今尾城、駒野城は
次男貞利が入った。しかし、1571年貞家が討死した為、貞利が今尾城、駒野城は貞秀が
入った。1582年信長没後、織田信雄に付いた高木貞利は、1584年秀吉勢筒井順慶の
来襲を退けたが、1590年秀吉が天下統一を果たすと、高木氏は開城し、一族は離散した
。『高須旧記』によると、1600年桑名−大垣間の守りを固めるべく、石田三成が駒野城
の修築を命じたとされる。『重政重修諸家譜』によれば、松ノ木城主徳永寿昌が池田秀氏が
籠る駒野城を攻めたと記し、「関ヶ原の合戦」時に攻防の対象となった。その後、廃城とな
る。現在は小学校となり、曲輪、土塁が残る。

【所感】先生の許可を得て校舎裏の土塁を撮影させてもらいました。往時は円弧土塁が3本
存在したようですが、現在は主郭を囲むを土塁だけが残っています。曲輪の入口は往時の虎
口と同じ場所で、土塁の高さは3m程、東側のL型土塁は短く、西側のL型土塁は長くしっ
かり残っています。城跡看板は校門から直進した右手にあります。





城山小学校



駒野城跡の看板・城山小学校






城跡の入口・虎口













土塁



主郭