信濃 小諸城
Komoro castle
小諸城跡・懐古園【長野県小諸市丁311】
【立地】丘城
【別称】酔月城・白鶴城・穴城・乙女城
【国重要文化財】小諸城大手門、三の門
【歴史】1487年大井光忠の鍋蓋城、その子光為の支城乙女城が小諸城の前身であり、現
在の二の丸の地に築かれた。1543年武田信玄の佐久侵攻で落城となり、佐久、小県の支
配の為、山本勘助、馬場信房に築城を命じた。1554年信玄の甥信豊が城代として入り、
1582年武田氏滅亡後に信長の家臣滝川一益、1583年依田康国、弟幸正が入った。1
590年「小田原征伐」の戦功により、仙石秀久が佐久郡内で5万石を賜り、1591年小
諸城へ入る。1600年秀久は家康に服し、徳川秀忠の上田城攻めで功を得ながら、城の改
修、城下町の整備、民政の安定に努めた。1614年秀久没後、嫡男忠政が継ぎ、1622
年信濃国上田6万石へ転封。徳川忠長領となって城代が置かれたが、この後、めまぐるしく
藩主が代わる。1624年久松松平忠憲、1648年青山宗俊、1662年酒井忠能、16
79年西尾忠成、1682年石川松平乗政−乗紀、1702年牧野康重−康周−康満−康陛
−康儔−康長−康明−康命−康哉−康済の10代で明治を迎える。現在は大手門、三の門が
国重要文化財に指定され、曲輪、袖塀、空堀、土塁、井戸跡、天守台石垣など多くの遺構が
在り、懐古園の名で親しまれている。
【所感】上田城の後に小諸へ来ましたが、正直、かなり遠くまで来たなーというのが実感で
す。あまり下調べをしてなかったので、三の門と少しの遺構かなーと思っていたら、これは
驚き!二の丸、北の丸、北の丸、本丸、天守台と石垣だらけではありませんか。私のような
石垣好きには堪らない内容です。黒門橋両脇の空堀や縄張り全体を囲むように在る南谷、西
谷、北谷も足が竦むような絶壁で、これも見応え充分。富士見台や水の手展望台からの眺め
も最高で、来る前と来てからの印象がかなり変わりました。
現存 三の門【国重要文化財】〔写真:左〕二の門跡〔写真:右〕
二の丸〔写真:左〕南の丸〔写真:右〕
北の丸西側の空堀〔写真:左〕南の丸西側の空堀〔写真:右〕
黒門跡〔写真:左〕小諸城跡の石碑・本丸〔写真:右〕
伝山本勘助愛用の鏡石・本丸〔写真:左〕天守台〔写真:右〕