駿河 小長谷城
Konagaya castle
小長谷城跡・徳谷神社【静岡県榛原郡川根本町東藤川】
本川根B&G海洋センター【静岡県榛原郡川根本町東藤川1220】
【立地】山城
【別称】小長井城・徳谷城
【町指定史跡】
【歴史】築城年は定かではない。天正年間(1573〜1592年)武田氏によって改修さ
れた遺構が残るが、それ以前に城は存在したようである。駿河土岐氏7代則詮が、1293
年小長谷に城を築いて本拠とし、小長谷氏を名乗ったと云う。小長谷氏は則詮を祖として則
明−尚政−家詮−清光−信家−康信−政清−定近−政房と続き、定近の時代は今川氏に属し
た。1560年「桶狭間の戦い」で今川義元が討たれると、武田氏に従属を願い出るも認め
られず、1572年奥平美作守・酒井源五が武田氏に背いた際に2人を討ち取り、その功績
から服属が認められた。1582年武田氏滅亡、1590年までとされる。現
在は神社、山林、海洋センターに変わり、曲輪、土塁、堀、井戸跡が残る。
【所感】小長谷城跡は、新東名高速道路「島田金谷インター」(NEOPASA静岡スマー
トインターから30km)から大井川〔遠江国×駿河国の国境〕沿いの国道+県道を41k
m北上します。目指す本川根B&G海洋センター〔駐車場〕は嘗て横堀に囲まれた曲輪であ
ったようですが、遺構が良く残るのは南隣りの徳谷神社側。本殿横の縄張図〔看板〕による
と、徳谷神社本殿の場所が本丸、その西側に二の丸・三の丸〔井戸跡の場所〕と三段の曲輪
、本丸裏手に土塁+二重横堀、その南に二重馬出の配置になっています。往時、どのような
縄張りであったか分かりませんが、徳谷神社側が主郭、海洋センター側が副郭と書く物もあ
ります。撮る側としては横堀〔1号堀〜5号堀〕と、武田氏お得意に馬出が撮れただけで大
満足です。
小長谷城址の碑と徳谷神社の鳥居
小長谷城墟碑・本丸
本丸
二の丸北半分
二の丸南半分
三の丸北半分
三の丸南半分
1号堀
2号堀
3号堀に囲まれた丸馬出
3号堀
4号堀に囲まれた角馬出
4号堀
5号堀