三河 国府陣屋
Kou Jinya
国府陣屋跡A【愛知県豊川市国府町中道】
高膳寺【愛知県豊川市国府町中道1】
国府小学校・国府陣屋跡B【愛知県豊川市国府町寒若寺6−1】
【立地】平地
【歴史】『国府陣屋A』田沼陣屋とも云う。1772〜1787年、遠江国相良藩主田沼意
次5万7000石の陣屋とされる。場所は高膳寺南側一帯で、現在は住宅地になり、遺構は
無い。『国府陣屋B』1803年陸奥国磐城平藩主安藤信成5万石が三河国内5000石の
出張陣屋として築いたもので、奉行1名、代官2名、勘定方2名のほか、足軽・同心各4名
が常駐した。その後、信馨−信義−信由−信正−信民と続き、1868年信勇に至る。現在
は小学校に変わり、遺構は無い。
【所感】『国府陣屋A』高膳寺が在る区画が国府町中道で、高膳寺の敷地を除いたエリアが
陣屋跡になります。『国府陣屋B』北端は音羽川、東端は県道375号線、国府小学校の校
舎辺りが陣屋跡になります。音羽川に架かる「豊成橋」は嘗て「陣屋橋」と呼ばれていたそ
うです。
高膳寺・国府陣屋跡Aの北に隣接
国府陣屋跡B・国府小学校