三河 小屋久保
Koyankubo
小屋久保【愛知県新城市出沢字後口山】
【立地】山腹
【歴史】参考地であり、確証は無い。浅間山〔標高408m〕の山腹〔標高388m〕に位
置し、1575年「設楽ヶ原の戦い」の際、戦域の人々が避難した場所とされる。生活の為
の水が豊富で広さもあり、家畜共々避難に相応しい地であったと云う。現在は山林となり、
尾根付近から茶碗のかけらが見つかっている。
【所感】国道257号線の寒狭峡大橋南信号から県道21号線へ入り、直ぐに右折して豊川
〔寒狭川〕沿いを北上します。400m程進むと、左手に橋詰殿戦場の石碑、馬場美濃守戦
死の地の看板が在り、更に400m程進んだ左手の七久保川に沿って在る脇道を入ります。
暫く道なりに走り、七久保不動院の場所で左折して林道雁峰線へ入ります。1キロ程進むと
、右手に小屋久保のいろはかるた、更に800m程走ると、右手に小屋久保の小さな標柱が
在り、私はここから登りました。〔更に500m程進むと、もう1つの登り口「出沢口」が
在ります〕先ずは尾根まで進み、次に右上の山頂を目指してジグザクに上って行きます。途
中、「小屋久保」と書かれた小さな標柱が在り、20分程で現地に着きます。
小屋久保の説明看板と石碑
現地手前の山道〔写真:左〕山道途中に立つ小屋久保の標柱〔写真:右〕
出沢口東の登り口〔写真:左〕小屋久保登り口・出沢口〔写真:右〕
小屋久保のいろはかるた〔写真:左〕馬場美濃守戦死地の看板〔写真:右〕