遠江 久野城
Kuno castle
久野城跡【静岡県袋井市鷲巣】
鷲巣上公会堂【静岡県袋井市鷲巣1281】
【立地】丘城
【別称】座王城
【歴史】明応年間(1492〜1501年)、久野佐渡守宗隆が築いた城とされるが、永正年間(15
04〜1520年)築城説もある。宗隆は今川方に属して戦功を挙げが、1560年「桶狭間の戦い」
の際、忠宗〔宗隆の子か〕の長男元宗は今川義元に従って討死。元宗の弟忠能が跡を継ぎ、1568年
家康の遠掛川城攻めに従属し、「高天神城攻略」「小牧、長久手の戦い」などで武功を挙げた。159
0年家康関東移封に伴い、忠能も下総国佐倉藩1万3000石へ移る。代わって、遠江国頭陀寺城1万
6000石から秀吉の家臣松下之綱が入り、1598年没後は長男重綱が継ぎ、1600年「関ヶ原の
戦い」の後も旧領を安堵され、久野藩主となった。しかし、1603年幕府に無断で石塁を築いた処罰
として常陸国小張へ転封となり、久野藩は一時廃藩となる。下総国佐倉藩の久野宗能は家督を次男宗朝
に譲ったが、1596年徳川秀忠上洛に供奉した際、私怨から三宅弥兵衛を討った為、領地没収となり
、父宗能に1000石が給された。1603年宗能は旧功を賞されて7500石の加増を受け、再び旗
本として久野城へ入る。1609年宗能没後、宗朝の次男宗成が継ぎ、1619年2500石の加増を
受けて、紀伊国和歌山藩主徳川頼宣付きの重臣となる。代わって、下野国富田から北条氏重が1万石で
再立藩するが、1640年下総国関宿2万2000石へ転封となり、廃藩。1644年廃城となる。現
在は曲輪、井戸、空堀、土塁が残る。
【所感】東名高速道路の北、鷲巣上公会堂の南に位置する久野城跡は、平地に在る小山です。現在は城
址公園とする為、駐車場、散策道、曲輪〔芝生敷き〕の整備が行われ、春には竣工と思われます。最高
所の本丸を囲むように二の丸、三の丸、北の丸、西の丸、東の丸、南の丸が在り、平地の難点をカバー
すべく四方に睨みをきかせています。
本丸
本丸下段
高見
二の丸
井戸跡・二の丸
三の丸
北の丸
西の丸
主税屋敷跡と西の丸
三の丸西
土塁と横堀・本丸北側
櫓台と横堀・本丸北側
東の丸
東下段
大手北
大手
隅櫓台・大手〔写真:左〕大手の池〔写真:右〕
南の丸