三河 蔵屋敷
Kura residence

蔵屋敷跡【愛知県新城市作手清岳字クラヤシキ】
 武士塚【愛知県新城市作手清岳字ヲクヤマエ】
  姫塚【愛知県新城市作手清岳字ドンボリ】

【立地】平地
【別称】倉屋敷

【歴史】1588年奥平鶴松丸〔清匡〕が家康の養子となって松平下総守忠明を名乗り、1602〜1
610年作手藩主1万7000石を得た際、亀山城の米蔵を設置したとされる。屋敷の南端に倉が在り
、御倉番人は大西端丈だったと云われる。現在は畑地に変わり、曲輪、土塁の一部が残る。

【所感】国道301号線と県道437号線の交差点に隣接する東側の区画が倉屋敷跡です。道路よりも
高く在る畑地で県道沿いに倉屋敷跡の木碑が立っています。畑地へ登ると、東端に土塁の一部を確認す
ることが出来ます。蔵屋敷跡近くの国道301号線沿いに武士塚・姫塚が在ります。亀山城2代城主奥
平貞久と夫人の塚とされますが、逆と云う説もあります。


 

倉屋敷址の木碑〔写真:左〕蔵屋敷跡・畑地〔写真:右〕

 

畑側から見た残存土塁〔写真:左〕外側から見た残存土塁〔写真:右〕

 

武士塚・亀山城2代城主奥平貞久の墳墓〔写真:左〕姫塚・奥平貞久夫人の墳墓〔写真:右〕