遠江 黒田代官屋敷
Kuroda Chief administrator residence
黒田代官屋敷跡・代官屋敷資料館【静岡県菊川市下平川862−1】
歴史街道館・塩の道公園【静岡県菊川市嶺田97】
【立地】平地
【別称】黒田家住宅
【国重要文化財】黒田家住宅(母屋・長屋門・米蔵・東蔵・西蔵・濠)
【歴史】永禄年間(1558〜1570年)、黒田九郎太夫義則が築いた屋敷とされる。黒
田氏は初め足利姓であったが、越前国黒田荘を領して黒田氏を名乗ったと云う。1250年
頃、2代日向守は紀伊国牟婁郡に居住し、3代式部少輔義理は城飼郡〔小笠郡〕、4代監物
亮義重は平川村〔菊川市下平川〕を領した。義則は初め今川氏に属したが、1569年近郷
諸豪と共に徳川家康に仕え、高天神城主小笠原與八郎長忠の組下となった。1571年武田
信玄の「高天神城攻め」の際、義則、義得父子は斉藤宗林の傘下に属し、池田縫平、大須賀
五郎左衛門、粕谷善右衛門らと護ったが、1574年武田勝頼軍の攻撃で開城となり、平川
村へ帰った。1645年三河国岡崎4万8500石より本多越前守利長が横須賀藩主となり
、兄の本多日向守助久は下平川、嶺田村の一部、三沢村4000石を分与され、黒田家はそ
の内2000石を得て代々代官を務めた。1973年母屋、長屋門、1993年米蔵、東蔵
に加えて西蔵、水堀を含めた屋敷地全体が、国重要文化財に指定されている。
【所感】堤城跡の南方1300mに位置し、西に菊川、東に牛淵川、北に隣接して県道69
号線が在ります。方形の水堀に囲まれた黒田家住宅は敷地内全てが国重要文化財に指定され
ている珍しい屋敷です。
長屋門
母屋
米蔵
黒田家代官屋敷資料館南側の濠
黒田家代官屋敷資料館西側の濠
黒田家代官屋敷資料館北側の濠
黒田家住宅西側の濠
黒田家住宅北側の濠
黒田家住宅東側の濠